第五章「最後の女神」
あの日から2ヶ月もの時間が過ぎた。
不知火桐江はヘレンの後ろ盾もあってか、この短期間でデビューし、数多くの新人賞を受賞、今ではエースとして俺と同じ雑誌で連載をしている。
俺はたった今、今週分の仕事を終えて上のカフェで息を抜いているところだ。
「それにしても桐江さんの活躍には目を見張るものがありますね。」
向かいの椅子に座っている亜里沙が話しかけてきた。
「ああ、今じゃ俺だって滅多に会えない存在だ。」
そんな時、俺のポケベルが鳴った。それを不思議そうに亜里沙が見つめる。
「それなんですか?」
これだから携帯電話の世代は怖い。機能を掻い摘んで説明し、俺は電話をかけた。
「ああ、デニーロね。」
ヘレンの声だった。何かを隠しているような悪戯な声色だった。
「実は桐江君の小説が映画になるって話しが舞い込んで来たんだよ。」
俺は驚いた、がよくよく考えると桐江の小説はすでに映画化している。
ヘレンの用件はそれだけだったので俺は電話を切った。
亜里沙は今の電話で俺が話した言葉だけで大体の事情を把握していたようだ。
「どうせですから今からデートに行きません?五木進一監督の映画を見に。物語は桐江さんのですから面白いと思いますよ。」
「そういや見てなかったな、桐江の映画。」
そして、俺達二人はしがないデートに出掛けた。
映画館といえばポップコーンというイメージがあるが、俺達はあえてほしいもの袋を持って中に入った。
作戦は大成功。たちまち俺達は有名人(一時)になった。
そして、映画の上演が始まった。ほしいもは長持ちするからありがたい。
……確かに面白い。
物語が面白いのは予測できていたが、出演者の演技がここまで迫真だとは…。
それは役者自身の問題でもあるが、監督としての技量もだいぶ影響すると思う。
進一の映画監督としての才能は本物だったんじゃないかな?とふと思った。
それは亜里沙も同じだったらしい。ほしいもを食べる手が止まっている。
2時間45分の上演が終わり、俺達は外で昼食を取ることにした。
いわゆるジャンクフードショップに入った。100円が50円になったりする食べ物である。
芋はさっきたらふく食べたので、ドリンクだけのセットを二人で頼んだ。
ジャンクフードの醍醐味はどこでも食べられることなので適当にそこらをぶらついて見つけた公園で昼食を取った。
よく考えると、この公園は桐江と初めて話した公園だった。
亜里沙にあの時のふろしき包みの格好を手取り足取り、ジェスチャーを交えながら教えてやった。
ドリンクを噴出しそうになっていたが、その笑いにどこか悲しみのようなものを感じた。
そう、桐江とは住む世界が違う。もう会えない。
そして、ふと思った。マンションにあった不知火の苗字、あれは何だったのだろうか?
気になって例のマンションまで足を運んだ。どうせ予定のない一日だ。
バスで20分。マンションに到着した。…その表現であっていただろうか。
そこにマンションはなかった。どうやら経営不振で倒産したものを景観が損なわれるという理由で壊したらしい。
まるで桐江との思い出がひとつずつ消えて往く様な気がした。
そこにポケベルが鳴った。ヘレンからではない、知らない番号だ。
しかし、今の時代公衆電話は徐々に失われている為、大いに戸惑った。
「今鳴ったって電話に出ようがないじゃないか…。」
亜里沙がおもむろにバッグから携帯電話を取り出した。
「ほらほら、携帯電話の方が便利でしょ?はい、貸したげる。」
俺はその好意を素直に受け取り、電話をかけた。
そこに出たのは佐竹次郎、カフェ『moon』のマスターで亜里沙の父親だ。
客が大勢来ているのか?まわりの騒音がうるさい。
「ああ、デニーロ先生。実は急用があって亜里沙をカフェに帰してもらいたいんだ。もちろん女性を一人で帰すなんて野暮なことはしないでくれよ。」
そう言い残すとすぐに電話を切った。
そういえば、あの電話番号はカフェ『moon』のものだった気がしてきた。
亜里沙に急用と話すと心配そうな顔つきになった。これは飛んででも帰らなければならない!
カフェの前に来て俺は驚いた。なんと、あの『moon』に溢れんばかりの客達が居るではないか。
その大半は若い女性でOLやら女子高生やらいろいろ混ざっているようだった。
俺と亜里沙は秘密の裏口から店内に入った。
中には客が大勢ひしめき合っていた。異常だ…これぞ天変地異!
マスターが駆け寄ってきた。
「実は内緒にしてたんだけど…。」
と言うと、後ろから桐江が現れた!
「じゃーん。どうだった?ドラマティックな演出だったでしょう。」
俺と亜里沙は桐江と叫んだつもりだったが、多少オペラ系の発音で音が出てしまった。
実はこのカフェ『moon』、今度の映画で同一の名前の店が出てくるのだ。それをリンクさせて、完成記念記者会見の会場にここに仕立てたらしい。
よく見ると店の中にいるのはカメラを持った男性はほとんどだ。
「まあ、私にできる恩返しと言えばこれくらいしかないからね。」
桐江が懐かしむような目つきで語った。
亜里沙はまだ呆気に取られている。
「それも良いけど、たまには顔合わすくらいはしろよ?寂しいじゃないか。」
「それはすでに解決済みよ。この看板を見なさい。」
そこには『moon』の新しい看板があった。そこにはなんと、不知火桐江御用達の店と大きく描かれていた。
「ってゆうことは…。」
亜里沙が驚いたように言った。
「また、あのアパートの2階に住むことに決めたの。なんせ立地条件が最高だもんね。カフェ『Moon』まで片道1分だなんて。」
その瞬間、亜里沙の目から大粒の涙がポロリと流れ落ちた。
桐江は亜里沙の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
そして、記者会見は終わり。撮影陣が退陣するとカフェ『moon』は文字通り人で溢れた。
亜里沙は対応に追われ、きりきり舞いを踊っている。
マスターは「こりゃ長女にもバイトさせなきゃな!」と嬉しそうに笑っていた。
桐江と俺は裏路地に出た。
「ここ2ヶ月は大変だったわ。でも、あなたに誘われてこの世界に入って良かったと思っている。」
「そうだろ、忙しいけど充実してただろ。」
「ええ、とても充実してたわ。楽しい人生って案外こんなものかもしれないわね。」
「俺もこの2ヶ月、ヘレンに追われて毎日充実してたよ。」
「うふふ、羨ましい限りですこと。」
しがない雑談はここで終わった。
「私あの時言ったでしょ。女だからって。」
「ああ。」
「でも本当は違った、最後のピースが足りなかっただけなのよ。」
「ピース?」
一瞬、平和の意味かと思ったがパズルのピースだとすぐに気が付いた。
「ええ、それが揃ったから私は今ここにいる。きっと進一もそうだったのよ、どこかでパズルのピースを見つけたから映画監督として今を過ごしている。」
「あと、こうも言ったわよね。男は女を泣かすけど、女は男を泣かさないって。」
「……。」
「あれも間違っていた、まあ有り体に言えば正解だけどね。」
「男は泣かない強さを持っている、泣いても何も変わらないと分かっているから。そして女は泣いてしまう強さを持っている、変わらないと知っていても変わりたいと強く願って女は涙を流すのよ。」
俺は今まで背を向けていた体を桐江に向けた。
「そうか…。」
「これまでは悲観的過ぎたわ、女であることに対して。この歳になって考えが変わるのは情けないと思うけど、それでも良いと思えるならそれで良いのよ。」
「そう、私は変われた。強くなったかは分からないけど、自分を大好きになれた。」
俺は少し照れてしまって桐江の方に向けた体を再度180度反転させた。
そして、腰に両手を当てて、天を仰いで語った。
「そうだな、俺も自分が大好きだ。それと自分を好きになれた桐江のこと、前よりもっと好きになったぜ。」
「うふふ、安い口説き文句だこと。」
そこに俺のポケベルが鳴った。ヘレンからだ。
「やべ、何かあったかも…。」
俺は大急ぎで電話をかけに行った。しかし、カフェの電話は人ごみの所為で使えそうになかった。
桐江に携帯電話を貸してもらおう!俺は安直な思いで桐江の元に戻った。
「え?私もポケベル愛用者だから携帯電話は持ってないわよ。」
「マ…ジ…で…」
「もう、仕様がないわね。乗せてってあげる。」
俺は好意に甘えて桐江の紅色のフェアレディZに乗せてもらうことにした。
この前の傷は全部直っていた。直ってなかったらヘレンに訴えるべきだ。
俺は助手席に座った。そこにはあの日が少しだけ息づいていたような気がした。
あの日ヘレンから救ってくれ、今日も俺を救ってくれた桐江の姿が俺には最後の女神に映って見えた…。
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