第二章「敏腕アイドル専門記者デニーロ伊藤」
俺とヘレンはなだらかなスロープを降る。50M先には行き止まりがあり、左右に道が分かれている。垣間見た電柱にはチラシが張ってある。いやらしい張り紙だ…。
その道を左に曲がると、町内で定められたゴミ捨て場がある。プラスチック製でカラフルな色使いの新しいタイプで、ゴミの分別が厳しくなった頃に買い換えられた物だ。
「さっさっと行ってきなさい。私はここで待ってるからね」
俺はヘレンを数十M後ろに残して、用件を手早く済ませることにした。
ゴミの集積場にはカラスが集まっていた。俺たちが近づいても退く気配など見せない。むしろ、その眼光は威嚇しているようにも見える。
俺はカラス避けのネットを口にくわえて持ち上げ、両手に携えていた新聞紙の束を中に置いた。先方も食べ物じゃないと分かれば動くこともない。
「あッ!これはヤバイだろ!?」
俺は新聞紙の束をゴミ箱から回収すると、おもむろに中を探り始めた!
「危ない危ない…、間違ってこれも一緒に捨てるところだったぜ」
俺の手には駅前の肉屋さんのコロッケ割引券がしっかりと握られていた。期限は来週の木曜日まで。100円が80円になるのはおいしすぎる!
「さてと…、こいつにもう未練はないぞ」
俺は束の解け掛かった新聞紙を少々乱暴にゴミ箱の中に戻した。(デニーロ!原稿!)
「おーい、早くしろー!バスの時刻に間に合わなくなるわよ!」
ヘレンの催促を耳にした俺は、軽いダッシュで数十M後ろに戻った。
「すまんすまん、手こずってな」
「見てたわよ。新聞紙ほどいて何やってるんだか…。ん?その手に持っているのは」
「あぁ、一緒に捨てちまうところだった。コロッケの割引券」
ヘレンは衣服が肩から滑り落ちる、いわゆるマンガ的表現を見せた。
「はぁ?そんなもんの為に私は待ってたっていうの…、たかが100円のコロッケだったら言えば奢るのに」
「まあいいじゃん。コガネムシは金持ちって言うだろ?」
「ワケが分からん…。これ以上のページ浪費は無駄だわ。急ぐわよ」
ヘレンは作者の状況まで把握しているらしい。…ごほん。とにもかくにも、デニーロとヘレンは駆け足でバス停に向かい、バスに乗車した。
ガタン、ぷしゅー……。バスのドアが閉まる音だ。子供の頃は良くあれに挟まれたもんだぜ。(マジで!)
へレンが一番後ろの5人席に座ったので、俺も隣に座ることにした。
「おっと…!」
バスが揺れた拍子にバランスを崩してしまった俺は、右手の席にも縺れ込む体勢になってしまった。
「きゃッ…」
俺が縺れ込んだ席の奥の窓側に座っていた女性が小さな悲鳴をあげた。
「あ、すみません…。」
社交的に非礼を詫びて、その場を後にしようとしたが、何かひっかかる…。ん?この真っ赤なスーツは…。
「誰かと思えばデニーロじゃない。相変わらずマヌケしてるのね」
「桐江っ!何でこんなところに…」
彼女の名前は不知火桐江。職業は俺と同業、更に同じくヘレンの雑誌に厄介になっている。違うことと言えば、彼女は国民的にも評価された大作家ってことぐらいだ。主にミステリーやホラーやサスペンスを書く。
「私が公共のバスに乗ってちゃ悪いのカシラ?」
「いや、その…。失言だったから取り消してくんない?」
後ろの席からヘレンが顔を覗かせてきた。
「あんた、人様になにやってんのよ!って…、桐江!?偶然じゃない!来月の増刊号に載せる短編はもう仕上がったの?」
「あちゃー…、ヘレンも一緒だったのね…。」
休日に作家と編集者が出会うのはマズイ。桐江はそれを体で表すような顔をした。
「……、その様子だと書き終わってはいないようね。まあ、デニーロじゃあるまいし、こんな無粋なことを聞くような相手じゃなかったわね。それで、今日はどんな用事?」
「ちょっと妹に用事があってね。もう少ししたら差し入れを買う為に降りるわ。ちなみに銅鑼屋シュークリームね。…てかデニーロ、その体勢で大丈夫?」
足がクロスに交差し、右手は手すりに?まりながらも、左手は宙に浮いている…。
「あぁ…、ちょっとマズイかもな」
「鉄棒で遊ぶチンパンジーってタイトルを付けましょう」
ヘレンの心無い喩えが、俺の清らかな心?に新たな傷を作った。
「次は…、○×町、○×町。下車する際は、お忘れ物が無いか確認してから下車して下さい。財布や傘などの……」
車内アナウンスが流れると、桐江は首を忙しく動かして周りを確認した。癖なのだろうか…?なんとなく忘れっぽい気質が感じがしないでもないが。一通りの確認が頭の中で済むと、彼女はヘレンに顔を向けて言った。
「悪いけど、私はここで降りるわ。それじゃ、二人とも道中気をつけて」
体勢の直った俺の真横を春風のようにすり抜け、桐江は下車の準備の為に、出口にほど近い席へと移った。春風と表現したのは、香水の香りがそんな感じだったからだ。
俺はヘレンが座っているすぐ後ろの席に座った。程無くして、桐江は下車して行った。
「ところで…」
俺はヘレンに質問をしようとしたが、先にその答えは提示された。
「桐江は特別。アンタには一切の妥協はしませんからね。もう暇さえあれば、再来週の原稿を書かせるつもりで、ここに万年筆と原稿用紙を…」
やはり、ヘレンは鬼の娘かもしれない。
バスから降りたヘレンと俺は、都会のビル達に歓迎されながら彼らの足元をゆっくりと歩いた。
やはり都会は自動車と人が多い。徐々に排気ガスと二酸化炭素が溜まっていって、皆が一斉に窒息死してしまわないか心配になった…。
それよりも…、まだ雪の気配が残る三月だというのに、ミニスカートをはいてるギャルが目立つ。首にけったいなマフラーを巻いているところを見ると、やはり寒いと感じるらしい。稀にコートを着込んでいる美女も通るが、どうやらブランド品らしい。そうか!オシャレ量保存の法則を使えば、この永遠のギャル矛盾は解消されるのか。ブランド品で補えない娘達は寒くてもオシャレなミニスカートをはくと…。女の世界も大変だ。
「ねぇ…、さっきからころころと怪しげな表情のオンパレードだけど、何か悪いものでも拾って食べたの?」
どうやら、アホな思考が表情に出てしまったようだ。
「原稿料が少なくて、拾わないと食べていけないんだよ。最近は24時間営業のファミレスのゴミ捨て場から…」
「馬鹿っ」
無論、茶化しの入った冗談だと双方共に理解している。読者のあなたは曲がりなりにも信じましたか?……、明日から生活習慣を正すことにしよう。
目的地のTV局までは徒歩で20分ほどかかる。ヘレンのハイヒールの音が気になるほど辺りが静かになったのは、目的地に程近い公園の脇道でのことだった。
ここまで大通りから外れると、まるで別世界に来た気がする。街路樹も心なしか活き活きしているように感じた。
「ほら、あれが目的の超電磁TV局よ」
「ちょ、超電磁?まるでスーパーロボットのようなTV局だな、おい」
しかし、超電磁電波放送と言えば、今流行りの地上波デジタル放送に対抗する為に、アメリカのMITで開発された技術だ。たぶん、その技術が使用されたTV局なのであろう。屋上に据え付けられた巨大なアンテナ以外は、特に目立った印象の無い建物だ。
「毒電波は発信してないだろうな?」
「さあね。なんせ新技術ですもの」
いつも自身満々に答えるヘレンにしては、非常に気がかりになる一言だった。
「さてと…、ここでおさらいよ。あんたは今日、どんな役職になってるんだっけ?」
「……、甲子園球児かホストだった気がする」
「おバカ、それは過去の経歴でしょうが。あんたは敏腕アイドル専門記者なの」
「月収100万円だっけ?」
「そうよ、だからエイチャンみたいな立ち振る舞いをしてなさい。自販機のおつり入れを探ることは禁ずるわ」
補足しておくが、エイチャンとは風のように現れた中国語ロックスターだ。実際にはエイ・チャンと区切るらしいが、呼びやすさから繋げて呼ばれている。決して苗字が矢沢だったりしないのでご注意!
「……、焼肉の為に頑張ってみる」
「それじゃ、行きましょう。基本的に私の前を歩くのよ。私はあなたの秘書って設定だから。声かけられても、ちゃんとフォローするから黙っててね」
ヘレンよりも立場が上。それを聞いた途端に、何故だか偉そうに振舞える気がした。
概略を話し終えたヘレンと俺は、早々にTV局の門をくぐった。
入り口にはガードマンが二人立っていた。こちらを見る眼差しは意外にも優しそうだった。それほど自局の警備システムを信用しているのだろうか?さすが超電磁と冠するだけのことはある。
「失礼ですが、どちら様で?」
右側の若くてひょろりと背の高いガードマンが台詞をしゃべった。
「控えおろー!この御方をどなたと心得る!」
おいおい…、それじゃまるでフォローになってないじゃないか、ヘレンよ…。しかし、ヘレンは俺の心の叫びを無視して、コートの胸の内ポケットから何かを取り出した。
「この紋所が目に入らぬかっ!」
ヘレンの手の中には、高々と入局許可証明がかざされていた。すると今まで無口だった左側の少々年季の入ったガードマンが口を開けた。
「建物の後ろに階段があります。そこの右側にある電気メーターは偽装品です。開けると入力パネルがあるので、そこに許可照明に記載されているIDを入力して下さい」
右側のガードマンの顔が困惑に満ちている…。なにやら内部の者でも極少数の役員しか知らない暗号か何かだったのだろうか?ヘレンの恐ろしさを再確認した。
俺とヘレンは、言われたとおり建物の後ろ側に回り込み、非常用階段の右側で、目線の高さにある電気メーターを発見した。ヘレンはそれを開けて只今IDを入力している。
「なぁ、ここは一体どんな謎を隠し持ったTV局なんだ?」
ヘレンはこちらを振り向かず、許可照明とID入力パネルと睨めっこしながら答えた。
「別にスキャンダルを探りに来た訳じゃないの。ただ単に社長愛人用の入り口から入館すれば次回から顔パスできると思ってね」
なるほど。若いガードマンには知らされていないルートな訳だよ。
「てか、なんで社長愛人用の入り口から入館するヒミツの暗号を知ってるんだよ」
「本人から聞いたって言えば、信用できる?」
「そうか、愛人の方をナイフで脅して……」
「違うわい」
そんなことをしている内に、入力が終了して隠し扉が現れた。忍者屋敷で見かける壁がクルリと回るタイプだ。
初めにヘレンがクルリした。俺も一回転するのを待ってからクルリした。そんな最中に浮かんだ幻想だったが、愛人役ってもしかして俺だったの?
無事に入館し終えた俺とヘレンは、本来なら真っ暗な隠し通路を通るところだが、どうせ社長室かヒミツの地下室に通じていることは分かっていたので、近くにあった重たそうな扉を開けて、本来の入館ルートに戻った。
TV局は、テロ対策の為に入り組んだ造りになっていると何かで読んだ記憶がある。しかし、このTV局は、吹き抜けのオープンホールが爽やかな小奇麗な内装だった。さっきガードマンと話した正面入り口に目をやると、劇的な異変が起こっていた。
「ん?入り口がやけに騒がしいな。婦女子が大勢たむろしているようだが?」
「アイドルの追っかけか何かでしょう。さっき居なかったことから推測するに、海外スターの在日中の行動をすべて追い掛け回す忙しいタイプの娘たちじゃないかしら。正面入り口から入らなくて良かったわね」
確かに…、この状況からだと入館許可があっても、内部まで辿り着けるか分からない。
「さ、ここはもうじき戦場になるわよ。あの娘たちにとって許可証の有無はすでに関係のないことだから。さ、私の前を歩いて。」
俺はヘレンが指を指した方向に歩き始めた。無論、ヘレンはその後ろからついてくる。時々、小声で発せられるヘレンからの指示を頼りに、俺は建物の奥へと足を進めた。
「どうやら、ここみたいね」
目的地に着いたらしい。『佐倉涼子様』と書かれた張り紙が扉に張ってある。一般的に考えれば、番組出演者の控え室と思われる。
へレンがドアノブに手をかけようとした瞬間、俺は遮るように声をかけた。
「お、おい、この佐倉涼子って言う、お姉さまを取材に来たのか?」
「うん、そうよ。これくらい推して分かりなさいよ」
俺は、もう少し情報を得ようと第二声を発しようとしたが、ヘレンによりすでに扉は開け放たれ、いわゆるぶっつけ本番状態になってしまった。
部屋の中は和風畳敷きで、鏡台と、ロッカーと、小さな座卓が置いてある。そして、その座卓に据えられた応接セットで湯を沸かす女性がひとり。
「あっ、もしかして取材願いのあったデニーロさんですか?」
名前とは裏腹に、高校生くらいの、美女にはまだ早い美少女がソプラノボイスで迎えてくれた。
「あっ、もしかして貴女が『佐倉涼子』さん…?」
そのマヌケな言動を掻き消すように、ヘレンは答えた。
「そうよ、この先生が月収100万円の敏腕アイドル専門記者、デニーロ伊藤よ!」
俺はいつから伊藤になってしまったのだろうか…。だが助かった。
「ささっ、センセ。名刺をお渡しになって。」
言われるがままに、俺は名刺の一枚を彼女に手渡した。
「やはり、そうでしたか。本日は私のような不束者の取材にご来賓下さってありがとうございます。粗茶ですけど、今、沸かしてますから待ってて下さいね」
チグハグな敬語だ。歳相応に頑張った感はあるが、酷い文体だ。無論、作者に宛てる言葉である。(ごめん)
俺とヘレンは座布団を差し出され、座卓を一緒に囲む形になった。彼女は番組出演衣装だろうか?パステルカラーの衣装を着ている。この服装で茶を沸かす姿は絵にならなそうで、どこか絵になる感じがする。……、そうか顔か。日本人好みの清楚で温和で理知的な顔をしている。美女になった姿も見て見たいものだ。
差し出された粗茶を尻目に、早速ヘレンが質問を開始した。
「人気急上昇中の涼子さんですけども、読者に向けてアピールをどうぞ」
涼子は華奢な顎に左人刺しを添えて、遠くを見るような瞳で質問に答え始めた。
「えっと…、特に目立った箇所はありませんが、人並みに何でも出来ることが強みですかね。良くアイドルは馬鹿だって言われますけど、頭もそれなりですし、スポーツだって得意な方だと思います」
「やだなぁ、そのプロポーションとルックスが特に目立ってない訳はありませんよ。同じ女性として嫉妬します」
ヘレンの決まり文句に涼子は困惑顔を見せた。初々しい。正に俺好みだ!(おい)
その後もヘレンの質問は続き、20分の時間が経過した。俺は黙っていたが、ヘレンによって「この黙りこそが彼の脳細胞が働いてる証拠です!」と付け足されたことにより、涼子は不安にならずに質問に答え続けた。
「じゃあ、最後の質問になりますが、いつも右手だけに、はめているウエディング用の純白のグローブにはどんな意味が込められているのでしょうか?」
その言葉で気づいたが、彼女は右手に純白のシルク製のグローブをはめていた。
「あ…、えっと……」
彼女はその質問で初めて口ごもった。他人には軽々しく言えない、何か特別な意味があるのだろうか?
「読者の間では、婚約者に対するアピールだとウワサされていますが、どうでしょうか?」
「あっ!そんなことありません。婚約者なんていませんから……」
普通のアイドルなら確実にそう答えるだろうが、個人的にはその言葉を信じたい。てか、この娘がすでに彼氏、しかも婚約者持ちだと信じたい男はいるだろうか?
「分かりました。これで取材は終了です。思ったよりも時間かからなかったわね。素直でお姉さん助かっちゃうわ」
ヘレンは満面の笑みでそう言った。どうやら彼女のことを気に入ったらしい。
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