クリエーティブミュージアム

三月に咲いた桜

作品紹介   あとがき

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第八章「あるがままの心で」

 それは、収録の合間の昼休みのことであった。
「涼子!これはどういうことだッ!」
 片手に今朝発売の雑誌を抱えた事務所のプロデューサーが、血相を変えて涼子の控え室に飛び込んできた。
 バンっと雑誌を座卓の上に叩きつけると、見ろと言わんばかりに指を指した。
 涼子が裏返された雑誌を表に向けると、その表紙には大変なことが書かれていた。
「佐倉涼子…ゴーストハンドアイドル…」
 直訳すると、幽霊の手を持つアイドルだ。
「あれほど隠せって言ったじゃないか!記事には自ら見せつけたって書いてあるぞ!」
 頭がクラクラする感じがする。涼子は右手を無意識にさすった。
「なまじ売れ始めたこの時期にスキャンダルが出ればアイドル生命は終わりだ!」
 涼子の瞳が大きく見開く。スキャンダル、アイドル生命の終わり。自分のやったことさえも覚えていないのに、責任など取れるはずもない。
「わ、わたし…」
 その言葉を遮るように、プロデューサーは立ち上がった。
「もういい!痛み分けは勘弁だ!今日中に名簿から名前が消えると思え!」
 そう言い残すと、プロデューサーは控え室を後にした。
「ゴー…すと…ハン…ど……」
 涼子はゆっくりと立ち上げる。そして、廊下に出ると、窓から外を眺めた。
 のどかな三月の晴天も、見ようによっては絶望の空に見えてくる。
 不思議なことに涙は出ない。そう思った瞬簡に涙が溢れてきた。
「う…えぐぅ……うぅ…」
 まるで全身から力が抜けていくような錯覚に陥る。深い悲しみが彼女を包み込んだのだ。

 数時間後、スタジオは大パニックに陥った。
「なんだって!佐倉涼子が降板!?いきなりどうして…」
 番組プロデューサーの叫びを、奈々子は番組セットの中で聞いた。
「だって、スキャンダルを起こしたアイドルなんて視聴率を下げるお荷物でしかないだろ?それに事務所もきっとすぐに除外会見をやるよ。だったら従わないとなぁ」
 奈々子は今までにない衝撃を感じた。使い捨て。まさにその表現が適切だ。
 何を思ったのか、奈々子は番組出演用の上着を脱ぎ捨てると、番組プロデューサーに掛け合った。
「涼子が欠番になるのでしたら、私も出演を見合わせて頂きます」
 それだけ言うと、奈々子は控え室に戻った。
「りょ、涼子と奈々子が出演できないとなると、残りは雅夫だけ…。なんて、花のない番組なんだ…」
 うろたえる番組プロディーサーに、楽屋スタッフが通りがけに声をかけた。
「雅夫さん、どうやら昨日から行方不明らしいですよ。なんでも公衆便所で目撃された後から姿を現さないみたいで。殺されるって言ってましたって」
「じゃ、じゃあ、出演者は誰もいないじゃないか」
「知りませんよ。俺はセットを組み立てることしか興味ありませんから。それじゃ」
 スタスタとその場を去る楽屋スタッフ。残された番組プロディーサーは、胃に穴が開いて、病院に緊急搬送されたらしい。

 TV局の廊下にハイヒールの音が響く。奈々子が涼子の控え室に向かっているのだ。
 バタン。奈々子は涼子の控え室のドアを勢い良く開けた。中では座卓にうずくまった涼子が沈黙のときを過ごしていた。
「いきなりだけどさ!わたしがアイドルになったきっかけを聞きなさい!」
 奈々子は近くにいるのに大声で叫んだ。普通の声じゃ届かないと思ったからだ。
「私はね、フランス王朝の血を引いてるって理由だけでおしとやかに育てられたの。でも本来の私は目立ちたがりで、やんちゃで、自転車だって何台乗り壊したか分からないわ。それでね、ある日、学芸会で大衆演劇をやったの。私は侍の役。刀を振り回してね、ジャンプもしてね、でも誰からも注意されなかった。むしろ、その後には拍手の喝采が待っていた。本来の私を受け入れてもらえた瞬間だったわ。それから私はアイドルになることにしたの。欲張りかもしれないけど、フランス王朝の血を引く女としての誇りと、本来の自分を両立させる為に…」
 まるで涼子は死んでいるように反応を見せない。奈々子は怯んだが話しを続けた。
「でもね…無理だった。本来の自分が、フランス王朝とか建前の自分を倒しちゃったの…。それから私はフランス王朝のロイヤルレディを演じることが嫌になってしまった。本来の自分だけを見て欲しいと思っちゃったの…。あなたも同じなんじゃないかしら。隠している自分が嫌いになっちゃったんじゃない!」
 涼子の体がピクリと動いた。声は届いている。
「でもね…誰だってもうひとりの自分を持っているのよ。嫌いになったってそれは消すことができないのよ…。辛くたって、隠さなければいけないことの方が多いのよ…。この社会では…」
 暫し沈黙が流れる…。そして、次に言葉を発したのは涼子だった。
「ゴーストハンドじゃ…生きて行けない…」
 それを言ったきり、涼子は口を閉ざした。
 奈々子は返す言葉も見つからず、ただ控え室を後にすることしかできなかった。

 それから数時間たって、控え室に桐江がやってきた。
「桜…」
 座卓を眺めたまま硬直している涼子がそこには居た。
 桐江はすぐさま駆け寄ると、彼女の手を握り、優しく話しかけた。
「お姉ちゃんね…あなたを見てるのが辛くなっちゃった…。もうアイドル止めよう。あなたのことはお姉ちゃんがなんとかしてあげるから」
 涼子はすぐさま桐江に顔を向けると、胸の中に飛び込んでいった。
「くやしいよ…おねえちゃん…。くやしいよ…っ」
 まるで子供のように号泣する妹を見て、桐江はそっと頭を撫でてあげた。
(この子は十分に頑張った、あとは私が養おう…!)

 この雰囲気をぶち壊すかのように控え室のドアが大きく開け放たれた。デニーロだ。
「涼子ちゃん!右手は無事かぁーーー!」
 デニーロは涼子に向かって突撃すると、彼女の右手を掴んだ。
「ぎゃー!無事じゃねぇーーー!」
 その行動の意味が分からない桐江と涼子は、まじまじとデニーロを眺めていた。
「痛いだろ?くぅー!変わってやりてぇー!?」
 苦痛の表情を浮かべるデニーロ。やはり訳が分からない。
「デ、デニーロさん。何を…」
 無口だった涼子も、状況が分からず、思わずデニーロに問うのであった。
「ん?いやね。雑誌みたら涼子ちゃんが右手に重症を負った写真が映ってたからさ。飛んできちゃった」
 どうやらデニーロは本格的に事情が分かっていないらしい。
「大丈夫だよ、涼子ちゃん!俺が支えてあげるからアイドルを続けるんだ!」
 思いがけない言葉に桐江と涼子は度肝を抜かされた。
「なんか記者は酷いこと書いてあったけどな。俺はそうは思わない。スキャンダルってなんだよ!右手に怪我すればスキャンダルなのか!涼子ちゃんは涼子ちゃんじゃないか!きっと心を痛めていることだろうに…さあ、俺の胸の中でたーんとお泣き」
「デ、デニーロ」
 桐江は思いっきり表情が引きつっている。怪我は治るが障害は治らない。それは紛れもなくスキャンダルであり、それを隠していたこと自体も正にスキャンダルなのだ。
 だが、涼子はデニーロの胸に飛び込んでいった!?
「よーしよし、辛かっただろう」
 デニーロは、泣き顔の涼子の頭を撫でてあげた。
「簡単に諦めるなよ。夢は現実にしていつまでも続けるものなんだからな。根性さ!」
「うわーーーん!」
 涼子は初めて感情をフルスロットルにして泣き出した。
「わ、わたし…ひっく……くやしくて…みんなわたしに強さばっかり求めて…ひっく……でも、みんなやめろって…ひっく……そしたらみんな…わたしから離れてって……かなしくて…くやしくて……ひっく…イヤでイヤでイヤでイヤでイヤでイヤでイヤで……ひっく…あたし…やめたくないのに…ひっく…」
 桐江は妹の本心を始めて知った。彼女は辛くてもアイドルを続けたかったのだ。なのに自分は逆のことを進めて、彼女を追い詰めていた。
「桜…あなたどうして…ボロボロじゃない…どうしてまだアイドルを続けたいの。お姉ちゃんに養われるのがそんなにイヤ…?」
 涼子は嗚咽が止まるの待ってから、桐江の方を向いてこう話した。
「まだ…必要とされている気がするから…」
 桐江は涼子の涙をハンカチで拭うと、ぎゅっと抱きしめた。
「あなたは…優しすぎるのよ…」
 二人の涙が同じときに零れ落ちる。
 デニーロはその雰囲気を壊さぬように廊下に退出した。
「ヘレン、作戦は上手くいったぜ」
 廊下ではヘレンが待っていた。
「そう、じゃあ後は最後のシメを行うだけね」
「それにしても、すべて説明どおりだったぞ。すごいな」
 ヘレンは、胸の下で腕を組みながら答えた
「涼子ちゃんは弱い子じゃないわ。取材した私が一番よく知っているもの。あと家族であれば家族であるほど盲目になっちゃうものなのよ」
「そうかぁ〜」
 どうやらさっきのデニーロは芝居だったらしい。脚本はヘレン。これを台本なしのアドリブやっちゃうのだから、彼らの意思は疎通しといると思われる。
「じゃあ、悪者を懲らしめにいくか」
「ええ、半分八つ当たりだけどね」
 その後、さっきの雑誌を出版した会社は地球上から抹殺されたという。アーメン。

〜エピローグ〜

 それから、数日が過ぎたある日のこと。
「涼子…じゃなくて、桜だったわね」
「ええ、もう芸名は無くなりましたから」
 涼子は奈々子に笑顔で答えた。
「それにしても夢みたい。またこうやって同じステージで競演できるなんてね」
 そう、事務所に所属しなくとも、芸能活動はできるものなのだ。
「差し入れ、持ってきましたわ」
 あずさが楽屋に入ってきた。両手には菓子袋を持っている。
「ありがとうございます」
 涼子は丁寧に深々と頭を下げた。
「いいよ、どうせ中身はほしいもなんでしょ?」
「あら、ほしいもは美容に効果がありますのよ。クスクス」
 奈々子とあずさは憎まれ口を言ってもやはり仲が良さそうだ。
「ところで、ゴーストハンドって覚えていますか?」
 涼子は唐突に二人に問いかけた。
「う〜んと、忘れたっ!」
「ええ、今のあなたを見ているとね。それに今では…」
「ふふっ、そうですか。よかった」
 涼子は満面の笑みを浮かべた。

 デニーロとヘレンは、TV局の近くの公園でコンビニおにぎりを頬張っていた。
「ヘレンー、まだインタビュー記事の整理が終わらないのか…」
 鮭おにぎりを半分食べたデニーロは、ヘレンを急かした。
 ヘレンは公園のベンチにメモ帳を広げて、必死に注釈を加えている。
「あー、もう少し…あと少し…」
「はあ…」
 デニーロは公園を散策することにした。春は近い。緑が目立ってきた景色だ。
 コートを脱いだデニーロは、ベンチで雑誌を見つけたので、表紙を見てみた。
「ゴッドスマイル、不知火桜か」
 そう、彼女は記者会見で右手の事をすべてぶちまけたのだ。その後で見せた本当の笑顔が、あまりにも良すぎて、その名前で次の日に大手新聞の第一面を飾ったのであった。
「あー、ぽかぽか陽気が気持ちいいぜ」
 デニーロは、ベンチに寝そべると、その雑誌を顔に被せて寝息を立て始めた。
「どっかーん!」
 不意に押し出され、デニーロはベンチから転げ落ちた。
「だ、誰だっ!こんなことする悪い子は!」
 転んだデニーロの額に、不意に薄いピンク色をした花びらが一枚落ちてきた。
「ん…、桜の花びらか」
「えっ、桜?」
 ヘレンが空を見上げるとそこには桜の花が咲いていた。
「これは…、この前、夜中に見た老樹ね。ごついから外来種だと思っていたけど、桜の木だったんだ」
「ヘーレーンー…」
 デニーロは地べたに転んだままヘレンに向けて手を伸ばしている。起き上がらせてくれという意味らしい。
 しかし、その手を取ったのはヘレンではなかった。
「もう、おじいさんじゃないんだから、もう少ししっかりしなさいよ」
 桐江だ。
「桐江、どうしてここに…?」
「どうしてって、ヘレンに呼ばれたからだけど…?」
 二人は同時にヘレンを見つめた。ヘレンはニヤニヤしている。
「ようやくメンバーが揃ったわね。焼肉のこと忘れたとは言わせないわよ!」
 コートのポケットから茶封筒を取り出すと、その厚さを見せびらかした。
「でもねぇ、これだけあれば6人は食べられちゃうのよね。ってことで…」
 木陰から、奈々子とあずさと涼子改め桜が飛び出してきた。
「ごちそーさまでーす!」
「私、とっても良い店を知ってますわ」
「お姉ちゃん、驚かしてごめんね」
 デニーロと桐江は驚きの表情を隠せずにいた。そして同時に…
「もしかして、これって悪戯?」
「大正解。借りがあったからね」
 ヘレンは、先日の缶コーヒー事件のことを言っているらしい。
「まあ、美人と一緒に食事ができるなら、俺は否定しないぞ」
「私も賛成よ。食事は大勢で楽しむもんだもんね」
 どうやらこの二人は、ようやく焼肉にありつけるようだ。


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