第三章「スーパー焼肉天国」
佐倉涼子の控え室を後にした俺とヘレンは、その門前の廊下で話しをしていた。
「素直な娘だったわね。飾らない姿が好印象だわ」
確かにアイドルにしては誰かを演じている印象は受けなかった。本当に気立ての良い娘さんなのだろう。大和撫子は存命だったか。
「きっと日本中の男性諸君は彼女にメロメロなんだろうな」
「あら、世のお姉さん方も彼女の活躍に只ならぬ関心を持っているのよ」
そうか。彼女のようなタイプは同姓にも好かれるのか。意外だった訳ではないが、妙に納得してしまった。
「さ、ここだと通行人の邪魔になるわ。早く次の控え室に向かうわよ」
なんだ、取材はここだけじゃなかったのか。俺はヘレンに言われるがまま、次の控え室を目指して歩き出した。
「えーと…、アンタだれ?ソバとか頼んだ覚えはないわよ、オバサン」
目の前にはティーンズにしては明らかに化粧の濃い、だがフランス人形のような顔立ちをした少女がドア越しに顔を覗かせていた。つりあがった目が今朝の威嚇するカラスの目に見えたのは俺だけじゃない。
「オッ、おばっ……!」
その台詞を聞いたへレンが過剰反応を見せた。ヘレンも負けじと相手を睨みつける…!
辺りに険悪なムードが漂う…。それを先に崩したのは相手の一言だった。
「用事あるの?アタシ、とっても忙しいんだけど」
ヘレンは俺の財布を強引に奪うと、中から名刺を引き抜いて乱暴に彼女に手渡した。
「こういうものです。お時間戴けるかしら」
彼女は面倒くさそうに名刺を眺める。だが名刺を読み進めるうちに、彼女の顔面の皮膚細胞たちは次第に喜びオーラを放ち始めた。
「あらー!取材ぃ?時間が無いなんてトンデモナイ!暇過ぎてマンガを読んでいただけですのよ。どうぞどうぞ、中に入っていらして」
うーん…、現金な娘だ。少々戸惑いながらも、俺とヘレンは十二分に開け放たれた扉から、彼女の控え室の中に入った。
……驚いた。彼女の控え室は涼子の控え室と比べて三倍も広かった。鏡台は1mの大きさの立て掛けの全身鏡になり、座卓は4つの椅子が完備された豪華なテーブルセットにグレードアップしていた。流石は人気と利権の世界、格差がすごいな。
「名乗るのがまだでしたわね。柏木奈々子ですわ。以後ごひいきに」
俺たちが固まっている合間に、彼女はすでに上座の席に座りながら自己紹介をしていた。
席を勧める様子はなかったが、俺は自然体を装いながら、恐る恐る彼女の正面を避ける席に腰を下ろした。ヘレンは彼女から一番遠い席をチョイスした。
缶ジュースの一杯も期待できないと悟っていたヘレンは、早々と取材を始めた。
「じゃあ、質問を始めます。フランス王朝の貴族の血を受け継ぐ奈々子さんですが、総資産額はいくらだと存じ上げていますか?」
やはりお嬢様だったのか。活目した瞬間からそんな気はしていた。それにしてもフランス王朝とは…、日系会社社長のご息女くらいにしか思っていなかった自分が恥ずかしい。
「こんな質問にも答えなければいけなくて?プライバシーの侵害ですわよ」
奈々子の口はへの字になり、言葉使いはおしとやかになっても、出会った頃の嫌悪感を丸出しにして、ヘレンを睨みつけた。
「あくまで読者の方々からの質問ですことよ。これに答えないと人気下がりますことよ」
伝染してしまったのだろうか…?ヘレンは可笑しな口調で相手を牽制した。
しかし、その台詞が効いたのだろうか?それ以降の奈々子は、ぶっきらぼうながらも、ヘレンから出される珍妙な質問に黙って答えた。
「さてと、最後の質問ですことよ。人気絶頂の俳優、福川雅夫さんと浮いた話しがありますが真相はどうなんでしょうことか?」
「あぁー、彼ね。遊びですのよ彼とは。なんだかバッグとか買ってくださるけど、私にそのようなものを貢がれても…、お分かり頂けますよね?」
「はいー、分かったある。じゃあ、取材も終わりましたし、さっさと出て行かせてもらいますことよ」
ヘレンは最後の質問の答えをメモすると同時に、俺の髪の毛を鷲?みにして奈々子の控え室を逃げるように退出した。ハゲたらどうする!
「あんな無礼千万な娘は見たことが無いわ!うぅ…、渋茶に涼子ちゃんの爪のアカを混ぜて飲ませてやりたい…!」
こういう相手は何人も取材しているへレンだが、信念が許さないのだろうか?毎回こんな感じで機嫌を悪くする。まあ慣れてしまうのもどうかと思うが。
「まあまあ、外の空気でも吸って機嫌直せよ。ちょうど窓があるじゃないか」
「うぅ…、そうするわ」
ヘレンは閉まっていた窓をおもむろに開け放ち、顔だけ外に出して深呼吸を始めた。
「すーはー、すーはー…。あっ、ここって正面玄関の近くだったのね。ほら、さっきの娘達がここからだと一望できるわよ。」
俺は窓越しにその光景を覗かせてもらった。彼女達は未だに誰かを待ち続けている様子だ。携帯電話を片手に暇を持て余している…。
そんなとき、中央付近に座っていた娘のひとりがこちらを不意に振り向いた。
「あれ?窓が開いているわ。雅夫さまじゃないかしら!!」
つんざくような金切り声が鼓膜を揺るがす。顔を外に出していたヘレンはもっと重症だったろう。すっぽんの如き早技で顔を室内に戻し、間髪入れず窓をぴしゃりと閉めた。
「な、なんなのよ!」
何を思ったのか正面玄関にたむろしていた婦女子の大群が、一斉にこの場目掛けて突撃してきた!バッファローの群れがアフリカの大地を失踪するような地響きが起こる…。
「や、やばいぞヘレン!よく分からんが逃げるぞ!」
俺はとっさにヘレンの腕を掴み、奥の廊下を目指して全力でダッシュした。しかし、その十秒後に事態は急速に打開されることとなる。
「うるさいわよーーーッ!あんた達が雅夫の何を理解しているって言うのよ!追っかけるな!うるさい!さっさと帰りなさいッ!!」
その大声を聞いた俺とヘレンは反射的に後ろを振り返る。数メートル前方では、さっきへレンが顔を覗かせた窓の右隣の窓が開け放たれ、奈々子がスゴイ形相で彼女達を一喝していた。
「ほら、帰りなさいよッ!帰れッ!帰れッ!」
その辛辣な大声に怯えた婦女子の大群は、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
「きゃあー!鬼よ、鬼がやってきたわー!」
「ころされるー!私は福川雅夫のファンを今日限りで辞めます!死にたくないー!」
「テロよー!テロリストが中に潜伏してるわー!?」
暫くして正面玄関に人の気配が消えた。地響きも収まり、この世に平和がやってきたようだ。しかし…。
「……………」
奈々子の顔は浮かなかった。ただ黙っている。どちらかと言うと勝ち誇るタイプに見えていたのだが…。そして、彼女は静かの控え室に戻って行った。俺はただ呆然と一連の動作を見ているだけだった。
「うーん、参ったわ」
すぐ真横に立っているへレンが呟いた。俺は耳で聞きながらも、内心は奈々子のことが気になっていて上の空の反応をしている。
「愛…かしら?」
愛…、何が愛なのだろうか?物事を考える脳細胞の九割が奈々子なことを考えている今の俺の頭では、その言葉の意味が微塵も分からない…。
「痛いんだけど…、腕」
俺はヘレンの腕をしっかりと握り締めていることを忘れていた!
「あッ!めんご…」
手を離すと、ヘレンは掴まれていた自分の腕を優しくさすり始めた。数十秒ほど黙々とその動作をしていたが、何かを思い立ったかのようにそれをピタリと止めると、前方を目掛けて走り出した。
「デニーロは、ここで待ってて!」
遠ざかっていくヘレンに対して、俺はすこし大きめの声で言葉を返した。
「ど、どうしたんだよ。何処に行くつもりだよ!」
「柏木奈々子の控え室っ!すぐに戻ってくるから!」
そしてヘレンは奈々子の控え室の中に入っていった。どうしたんだ?まさか殴り込むつもりでは!
「いや、ヘレンに限ってそんなランボーな…」
ことはある。俺が受けた仕打ちの十分の一でも受けようなら、普通の女の子ならば失神は免れない。や…ば…い…。
しかし、その危惧は要らぬおせっかいだった。2〜3分してから、ヘレンは奈々子の控え室から何食わぬ顔で出てきた。室内に向かって手を振っているところを見ると、どうやら親しき仲になってしまったらしい。
「一体、何が起きたんだ???」
どう考えてもこの状況はありえないはずだ。数分前まで嫌悪していた相手が大声を出しただけで、その人物に対して改めて好意を持つなんて…。
「お待たせ。ん、あたしの顔に何かくっついてる?」
「いや…、なんだか仲良くなってきたみたいだな。それが不思議で…」
「あぁー、なるほど。女の世界のことが理解できるようになったら話してあげるわ」
「それじゃ、永遠に話してもらえないじゃないか」
「ま、それでいいんじゃない?」
ヘレンは人を小バカにするような表情でそう答えた後、先陣を切って歩き出した。俺は慌てて追いつきながら、更に質問をした。
「どうして奈々子と親しくなっちゃたんだよ。嫌いじゃなかったのか?」
ヘレンは歩きながらこう答えた。
「嫌いだったけど好きになっちゃった。奈々子ちゃんも涼子ちゃんと同じで、とっても素直でとっても純粋な娘だったから。……舌噛むからこれ以上はノーコメよ」
後ろを歩いている俺には顔こそ見えなかったが、上機嫌だということが声色で分かった。
暫くヘレンに付き添って歩くと、ベンチと自動販売機が置かれた室内簡易休憩所があった。そこで俺とヘレンは小休憩を取ることになった。
ヘレンはベンチに座って今日の取材メモの整理をしている。俺はヘレンから二人分のコーヒー代を受け取ると、自動販売機の前に立った。
「ん?当たり付きの自販機か、珍しいな」
賞品を購入すると電光ルーレットが回り、当たりに止まればもう一本おまけしてくれる自動販売機だ。おつり入れを探るのは禁止されているので止めておこうか…。
「チャリーン…、スカ。チャリーン……、ピコピコピーン。おめでとうございまーす!」
なんと、一回目は外れたが二回目に当たってしまった!?内部のコンピューターが必ずハズレに止まるように仕組んであると信じていたが、そうでもないらしい。
ウキウキしながら受け取った景品は…、青汁ジュース!……責任者どこだぁーーー!!
「おい、ヘレン。青汁が当たったけど…、どうする?」
俺は青汁ジュースの缶を深々と眺めながら、後ろのベンチに座っているヘレンに対して、この景品の処遇を求めた。
「青汁が当たった?なんじゃそりゃ。どーでもいいって」
ヘレンはベンチに広げたメモ帳に熱心に注釈を加えながら答えた。どうやら俺たちにとって青汁は無用の長物にようだ。健康にいいのに…。
「じゃあ、あたしが貰おうかしら」
後方から甲高い女性の声でそう答える人物がいた。
「そうですか。いやぁーよかった、持て余していたところなんですよ……」
振り向いて顔を上げた先には、真っ赤なスーツが?
「よっ、また会ったわね」
「き、桐江!どうしてこんな場所に…」
それを答える前に、彼女は青汁の缶を奪い、ぐいっと正に一気飲みしてしまった。
「ぷはぁーっ!いいねぇ青汁。健康の為に毎朝飲みたいわ」
「おぉ!良い飲みっぷり!………じゃなくて!」
「妹に用事があるって言ったでしょ?それより貴方たちがここにいる方が私にとっちゃ不思議なんだけどね」
桐江は空き缶をゴミ箱に捨てながらそう言った。しかし、その質問に答えるには時間がかかる。あっ、あれを渡せばいいのか。俺は財布を取り出す。
「その理由はこれを見れば分かる…と思う」
俺は桐江に名刺を渡す。桐江の表情が徐々に引き攣るって往く…。
「……、アルバイトか何かかしら?」
桐江は受け取った名刺を俺に返しながら言った。確かにこの名刺は必要ないだろうな…。
「よくわかったな。ヘレンに焼肉2回で誘われたんだ」
「なんだか良く分からないけど大変なのね。私も差し入れのシュークリーム食べたばかりだから、焼肉って聞くと手伝っちゃうかもね」
「じゃあ、直訴してみるか?どうせ午後の予定も入ってないんだろ?」
「それ賛成!」
俺と桐江は同盟を結んだ。青汁がきっかけで…。どうやらヘレンはメモ帳と睨めっこしてて、今までの会話おろか、桐江の存在にもまだ気づいてないらしい。そこで悪戯好きな桐江が考案したビックリアイディアでヘレンの眼を覚ますことにした。
「せーのッ!」
ヘレンの両頬に同時に缶コーヒーが当てられる…!
「あつーーーっ!?」
あっ…、誤算だ。缶コーヒーは冷たくなかった。すまん、ヘレン。
「いいわよ。焼肉なんて、大きな出費であることを前提に奢るものだから、一人増えようが構わないわ。その代わり、ちゃんと働いてもらいますからね」
ヘレンは両頬に改めて購入した冷えたジュースを当てがいながら答えた。
「大丈夫?ほっぺが真っ赤よ…?」
桐江はヘレンをいたわって声をかけた。加害者ではあるが(笑)
「あぁ、全然気にして無いわ。お茶目な悪戯よ」
そう言うと、ヘレンは右頬に当てていたメロンソーダのプルタブを開けて、それを一気に飲み干した。そして、一息ついたヘレンは立ち上がりながら意外な台詞を言った。
「さあ、編集部に帰るわよ」
「え、まだ取材は続くんじゃないのか?小休憩するってことはそんなノリだろ?」
「だって、メモ帳から頭で雑誌構成したら、涼子ちゃんと奈々子ちゃんだけで特集の4ページ埋まっちゃったんだもん」
ひとりに対して2ページもの特集記事を入れるつもりだろうか…?まあヘレンはこのような大胆な記事構成を稀にすることはある。どうやらこの二人はヘレンからお墨付きを貰ったらしい。
「えっ、でもそれじゃ私のアルバイトはどうなるの?」
桐江は不安げな顔で答えた。へレンから無償で焼肉を奢ってもらう方が怖いからだ。
「だいじょーぶ。ちゃんと用意してあるわよ、あなたたちに見合った仕事」
ヘレンは、左手に持っていた冷えたサイダーのプルを開け、俺の口に強引に注ぎ出した!
「がばっ!ごぼ…、ごぼぼ……。ごくん。」
「よろしい。捨てるのはあまりにも勿体無いからね」
ヘレンは両手に持っていた空き缶をゴミ箱に投げ入れると、入り口に向けて歩き出した。
「あー…、死ぬかと思ったぁ」
俺はサイダーの泡を口元につけながら、そうしゃべった。
すかさず桐江はバッグからハンカチを出して、俺の口元の泡を拭きながらこう答えた。
「大丈夫…?」
「案外やさしいんだな。見直しちゃったぜ」
「まあ、妹に比べたら全然なんだけどね。さ、ヘレンに置いて行かれるわよ」
俺と桐江はヘレンを追いかけた。正面玄関からTV局を出ると、遥か前方でタクシーを拾って待っているヘレンを見つけた。俺と桐江は早足で駆けて、タクシーに乗り込んだ。
「大人二枚とチンパンジー一枚で」
ヘレンは俺の古傷に触れると同時に、タクシー運転手を困らせてしまった。
「お客さん、うちは遊園地じゃないから、そんな愉快な要望には応えられませんぜよ」
「じゃあ、ニューサウスビルの前までお願い。あとヒーター弱いから強くしてね」
今度こそタクシーは動き出した。天候に恵まれた所為か、今朝は残っていたはずの道路脇の残雪が見当たらなくなっていた。春の季節はもうすでにとでも言ったところか。不意に思った。桜か…。何故だろう?あの薄桃色の花びらをいとおしいと思う気持ちが見せた一瞬の幻だったのだろうか…?桜…桜…。頭の中でそう反芻しているうちに、タクシーは編集部が入っているニューサウスビルへと到着した。俺とヘレンと桐江は、見慣れた編集部へと足を進めるのであった。
「いつ来ても忙しいところよね。ここは」
桐江がそう漏らした。確かに電話のコールが10分置きに鳴る職場を、忙しくないと表現する作家はそういない。
「さてと…」
ヘレンはご自慢の牛革の編集長席へと座って、バッグからメモ帳やら万年筆やらをデスクの上にぶちまけて必要なものを出し入れし始めた。一通りの作業が済むと、適当にソファに腰掛けていた俺と桐江に向かって声をかけてきた。
「さあ、これが焼肉を手に入れる為にする仕事よ」
目の前には原稿用紙と万年筆が丁寧に二人分揃えて置かれていた。
「こ、これは一体…」
「あっ、机は適当に使っていいわよ。取材陣は夕方にならないと誰も帰ってこないから」
「そんなことを聞きたいんじゃなくて、何を書けば…。読書感想文ならありがたいんだが」
「来週の原稿とか、再来週の原稿とか…」
それを聞いた桐江は、思わず肩にかけてあったバッグを床に落としてしまった。
「極力考えたくなかったけど、まさかこんなオチが待ってるなんて…」
俺と桐江は、焼肉ボーナスが付く原稿だと考えを良く転換させて、執筆に取り掛かった。ヘレンは今日の取材メモを清書しているらしい。時間はどんどん過ぎて行く…。
時刻は夕方ちょっと過ぎ。焼肉を食べるにはちょうど良い感じの時間帯だ。
「うーん…、二人ともよし!来週はこの原稿で通すわ」
どうやら二人とも原稿が通ったようだ。作家にとって至福の瞬間と言えなくも無い。
「待ってました!さ、焼肉に連れて行ってもらうぞ」
「分かってるわよ」
ヘレンは引き出しから茶封筒を取り出した。それなりに厚さがあるように見える。これは久々に期待していいのかもしれない!
ピロリーン、ピロリーン。何の音だ?桐江がバッグを探る…、桐江の手にはポケベルが握られている。どうやらポケベルの音だったらしい。
「あ…、ちょっとごめん。妹から急用みたい。あの娘、滅多にポケベルに連絡入れないから…、電話借りていいかしら?」
「いいわよ。編集長専用電話だけど私用に使っても問題は無いでしょう」
ヘレンは受話器を取って桐江に渡そうとした。しかし、こちらもコールが入ってしまった。ヘレンはとっさにこう言ってから受話器を取った。
「あっ、ごめん。電話は下にもあるからデニーロに案内してもらって」
俺は桐江を一階下のフロアにある公衆電話に案内することにした。薄暗いビルの階段を下り、少々見つけ難い公衆電話のありかまで桐江を先導した。
桐江は忙しくプッシュ式のボタンを押し、妹であろう人物に電話をかけ始めた。内容は聞き取れなかったが、桐江の非常に心配そうな顔つきから、なんとなく空気を読めた。
受話器を戻すと桐江は、未だに険しい眉間が戻らぬ顔で、俺に話しかけてきた。
「ごめん。ちょっと急用みたい。残念だけど焼肉は二人で食べに行って」
「そうか…、気をつけてな」
桐江は早々とビルの階段を下ってゆく…、なんだか申し訳ない気持ちで一杯になった。しかし、腹は正直だ。今日は桐江の分まで食べてやろう。それに焼肉はもう一回分の貸しがあるしな。その時に桐江と一緒に食べに行けばいいさ。
少々足取り重くなったが、俺は階段をあがって編集部のあるフロアまで戻った。
「ん?どうしたんだヘレン、そんなに急いで。そうか、お前も腹が空いてたんだな」
編集室ではコートを羽織ったへレンが、忙しく机の引き出しに鍵をかけていた。
「さあ、行くわよ!」
ヘレンから覇気がにじみ出ている。やはり焼肉は人間を変えてしまう力を持っている。
しかし、様子が少し変だ。何故だか無意識にこの台詞を言いたくなった。
「……どこへ?」
「奈々子ちゃんの控え室に決まってるでしょ!」
やっぱり…、ホントのオチはここにあったか、作者め。俺はヘレンに言われるがままタクシーに乗り、TV局にある奈々子の控え室を目指した。
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