クリエーティブミュージアム

三月に咲いた桜

作品紹介   あとがき

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第六章「武道派アイドルVS毒舌コブラ少女」

 雅夫が運転する車の後部座席で、ヘレンは苛立ちと戦っていた。
「ちょっと、もう少しスピード出せないの!」
 雅夫はハンドルを握っているにもかかわらず、ご丁寧にも後部座席の方向にまで首を捻って話しかけてきた。
「これだって制限速度ギリギリまで出しているんです!それに…」
「いつエンストを起こしても可笑しくないのでしょう。収録の合間のトークでしきりにネタにしてましたものね。自慢の愛車はじゃじゃ馬だって」
 助手席に乗っている奈々子が雅夫に対して突っ込みを入れた。
 確かに現在3人が乗車している雅夫の愛車は、20年程度の時間を刻んだと思わしき風体をしている。元は真っ白だったと思われる車体の色も、今では全面が茶色の混じったクリーム色に統一されてしまっている。
 ギャギャーっ!車が突如悲鳴をあげる…。
「い、今の音はなんなのよぉ…?」
 へレンが引き攣った表情で雅夫に問いかける。
「気にしないで。整備士が気にするなって言ってたから」
 この男は整備士がOKを出せば、ラップ現象がたびたび起こる車にでも平気な表情で乗るつもりだろうか?神をも恐れぬとは言ったものだ。
「あっ!そこの曲がり角を左折して、高速道路に入って下さい」
 雅夫は後部座席に振り向けてあった首を正面に据えなおすと、奈々子の指示どおり車を左折させ、高速道路へと入った。
「高速道路かー、久しぶりだな。免許取るとき以来だから、腕がなるぜ!」
 残念ながら、この車から途中下車することは出来ない。ましてや運転を代われるような人物は同席していない。ヘレンと奈々子に許させた権利は、ただ固唾を飲み込み、自らの天命を神に祈ることだけだった…。

 時速メーターの針が急激に降下してゆく。どうやら峠は越えたようだ。
「さて、水無月あずさの邸宅は○×調布だったね…って聞いてる?」
 助手席には顔がサバのように青くなった奈々子が呆然と座り尽くしていた。
「た、たぶん」
 どうやら精神的なダメージを受けて、頭が正常に働いていないらしい。彼女の視点は一点を見つめているが、そこには漠然と晴天が広がっているだけだ。
 そのとき、後部座席から雅夫の手元にひらひらと落ちるようにメモが投げ込まれてきた。
「その赤い点の場所が水無月あずさの家よ。本当に父親が現職の環境大臣ならね」
 編集長ならではの荒業ということか。閣僚の自宅と高級住宅街には精通しているらしい。
 雅夫がアクセルを一杯まで踏み込むと、閑静な住宅街に騒音と黒い煙が舞った。

「ここが水無月あずさの家です。間違いありません…たぶん」
 奈々子は幼馴染の友人の自宅を断言できずにいた。
 それはさっきの後遺症などではない。庭一面に雅夫親衛隊と思われる少女が、砂糖に群がる蟻のように密集していたからだ。50まで数えても終わりはまだ来ない。
「エアガンなんか持っちゃって…、完全武装って感じね」
 軍勢に向けて睨みを効かせながら、ヘレンはバッグから万年筆とメモ帳を取り出した。
 ヘレンは筆と頭を同時に走らせ、この状況から最終目的を遂行する一番スマートな作戦を考え始めた…。
 数十秒後、単純にして明快な作戦が2人の前に提示された。
「雅夫がおとりになっている隙に、私と奈々子ちゃんで涼子ちゃんを救うと…、これが最良の策だわ」
 自身満々のヘレンの表情に対して、雅夫は血流が悪くなっていた。
「雅夫さん!涼子を救う為に一肌脱いで下さい!」
 奈々子が期待の眼差しで迫る。
「わ、分かったよ。その代わり絶対に涼子ちゃんを救出してくれよ」
 死地に向かうと知っても女性の頼みは断れない。哀れな男の性である。
 雅夫は車のドアを開けて外に出ると、小走りで水無月邸の門前を横切った。彼のベストヒットソングである、魚坂を口ずさみつつ…。
「鮎と知っていたのにー、鯉はやってくるのにー、うーん、イエイ!」
 案の定、水無月邸で武装していた軍勢は一斉に雅夫を追いかけ始めた。まさに雅夫は砂の一粒。玄界灘の大波から逃げるように砂粒は地平の彼方に逃げ去った。
「なにが起こったの!」
 水無月邸の三階から茶髪のロングヘアーをなびかせながら、少女が勢い良く顔を出した。その衝撃でずれたヘアバンドを直しながら、状況を把握する為に辺りを見渡す。
「ヘレンさん、あれが水無月あずさです」
 車内の二人は、体を屈めて隠れると目標である水無月あずさを捕捉した。
「あのお嬢様が元凶だなんて…、顔はやんちゃっぽいけど…」
「あずさは私よりスタイルは恵まれてるけど、心も舌もコブラの毒のように邪悪なんです」
 水無月あずさは辺りを見渡し終えるとバタンと音を立てて窓を閉めた。親衛隊が居なくなったことを職務怠慢と思い違い、腹を立てているのだろう。
「裏口から中に進入します。後から着いて来て下さい」
 そう言い残すと、奈々子は助手席のドアをゆっくり開けて外に出た。ヘレンもそれに続いて車からそっと降りた。
 二人は、2メートル以上の高さがある立派な塀に沿って、水無月邸の裏口に回った。
「え〜っと…ここにあるはずなんだけど…」
 奈々子は、地ベタに這い蹲って塀の膝下あたりの高さの部分を探り始めた。
「どうしたの、隠し通路でもあるの」
 ヘレンは、その場で膝を折り曲げて、奈々子に聞こえるように話しかけた。
「ええ、十年も昔のことですけど、私とあずさで作ったんです。悪戯が見つかったときの脱出口として…あった!」
 見つかった隠し通路は、穴が開いた塀に木の扉を付けただけの簡素なものだった。子供でも十分に作れる気はしたが、大人の手でしっかりと補強された跡があった。
 ヘレンは、その隠し通路を奈々子の後方から覗き込むようにして眺めた。
「ちょっと小さめじゃないかしら…」
 確かに、ほふく全身のスタイルを取らないと通り抜けれそうに無い。
「あぁー、これじゃスーツが泥だらけになっちゃうわね、はぁ…」
 ヘレンは、額に手を当てながら、溜息をついた。
「涼子!必ず救出してあげるからね!今しばらくの辛抱よ!」
「えっ、ちょ、ちょっと!」
 なんと、奈々子は泥など眼中にないと言わんばかりに、ほふく全身でさっさと隠し通路を通過してしまった。
「アイドルにここまでされちゃ、アタシもやらないわけにはいかないわね…」
 渋々、泥だらけになるヘレン。雑草が顔にチクチク当たって機嫌は更に悪くなっていくのであった。
 二人は、水無月邸の庭先に潜入した。
 西洋のイメージを抱かせる庭だ。面積にしてみれば大きいのだが、豪邸が巨大過ぎてインパクトは薄い。とはいえ、象さんの三匹をストレスなしで飼えるほどの規模である。バラなどの気品を抱かせる花類を植えているのもポイントが高い。
 奈々子は、この庭にしては不釣合いなくたびれたブランコをじっと眺めていた。
「どうしたの、奈々子ちゃん」
 ヘレンの言葉に不意を突かれて、奈々子は驚いたように振り返った。
「べ、別になにもありませんよ。それよりも、さっさと悪者を懲らしめに行きましょう!」
 そう言い残すと、奈々子は軽いダッシュで豪邸に向けて駆けて行った。
 今の意味深な行動が気になったが、ヘレンは道案内の奈々子に従うしか方法はないので、黙って奈々子の駆けた道すじを足音を立てないように慎重になぞった。
 二人は、豪邸の中でも一際侵入しやすそうな風呂場の窓から内部へと侵入した。
「現職の環境大臣邸宅に風呂場から潜入するなんて、昨日の私には絶対に考えられなかった貴重な体験だわ」
「大丈夫ですか?風呂床は滑るから気をつけてくださいね」
 風呂場は広かった。檜の浴槽なんてものは当たり前で、形の揃ってないタイルは外国の職人が丹念に仕上げた芸術作品らしい。現職環境大臣おそるべし…。
「こんなに広い風呂なら、富士山を描くのが礼儀でしょう」
 へレンが愚痴をこぼしている間に、奈々子は脱衣所に足を進めていた。フランス王朝の血を引くロイヤルレディなら、こんな風呂も珍しくはないのだろうか?とにかくも、ヘレンは奈々子のペースに合わせて、早々と奥に進んでゆく。
「さてと、ついに現れたわね。警備会社の連中が…」
 二人は、あずさの部屋がある二階に行く為には絶対に通らなくてはならないエントランスホールに差し掛かった。
「できるだけ見つからないように進みましょう…って何してるの!奈々子ちゃん!」
 奈々子は、廊下に飾ってあった甲冑から取り外したと思わしき槍を、自分の手に馴染ませるかのように軽く素振りしていた。薙刀の構えだ。
「ここまで着たら、あとは突撃あるのみです…!」
 奈々子は、髪の毛を改めて結わえ直し、服の袖を巻くって戦闘準備を整えた。
「ちょ、無茶よ!いや、勝ち負けの問題じゃなくて、救出作戦で強硬手段だなんて…」
「ヘレンさん。私の二つ名を知っていますか?」
「……武道派アイドルだったわね」
「そうです。剣道3段、薙刀4段、柔道3段、おまけに書道も2段です」
 柏木奈々子とは、本気になればスパイダーマンくらいなら倒せる勢いの超淑女なのだ!
「軽く脅かすだけですから。それで怯まなければ気絶させます。骨とか間接は絶対に狙わないので制止しないで下さい!」
「やれやれ…じゃあ、私も兵器を出さないとダメみたいね」
 ヘレンはバッグの中からおもむろにボウガ…ってヤバイだろ!その気配を察した奈々子は、踏み込んではならない世界を避ける為に、こう言った。
「だ、大丈夫ですって!3分間じっと隠れていて下さい。約束ですよ!」
 3分後、奈々子はスタイリッシュに警備員を蹴散らして帰ってきた。
「さてと、あとは二階に突入して涼子ちゃんを救出するだけね」
 二人は、二階にある涼子が監禁されている部屋を目指して駆け上がった。

 その頃、福川雅夫は男子用公衆トイレの個室の中で、恐怖のかくれんぼをしていた。
「まさか、女の子がここまで入ってくるなんてことはないよね。あはは…」
 外からガヤガヤと騒がしい声が聞こえてくる。雅夫を探しているファンの軍勢だ。
「雅夫さま〜ん!出ていらして〜ん!じゃないと、寂しさの臨界点を超えちゃうわ!」
「プリクラを一緒に撮ってもらうだけでいいんですぅ。出てきてくださーい!」
「総大将の首はまだ届かないのか?」
 中には微妙に戦国武将に目覚めてしまった少女もいるらしいが、そんなことを気にしていたら胃に穴が開いてしまう。
「涼子ちゃん!絶対に助けてあげるからね!」
 雅夫の魂の叫びは、男子トイレの個室に反響するだけであった。

「何かしら、一階が騒がしいわね」
 水無月あずさは、異変を察知したようだ。
「あなたはここで待っていなさい…ってその体勢じゃ動けるわけないわよね。クスクス」
 佐倉涼子は、手と足を縛られて動きを封じられた上に猿轡をされていて、声すらまともに出せない状況にあった。
「……………」
 その表情からは苦痛よりも疲れが多く見られ、半ば諦めかけたような表情をしているが、涙を流した形跡はなかった。
「ほんっとうに愛想も可愛げもない娘ねぇ」
 あずさは、様子を伺う為に部屋を後にして廊下に出た。
 そこから少し歩いた先にあるダンスホールに差し掛かったとき、見覚えるある顔と対峙するのであった。
「!?あなたは奈々子、どうしてここに…!」
 ヘレンは奈々子にこっそりと問いかけた。
「奈々子ちゃん。彼女が標的の水無月あずさで間違いないわね?」
「ええ」
 奈々子は一歩前進して構えを取ると、言葉を継いだ。
「あの、十年前とまるで同じ顔をした童顔で色気と言う要素を母親の胎内に残してきたような可哀想な娘が水無月あずさよッ!」
 あずさは眉間がピクリと動いたが、すぐに冷たい笑みを浮かべて、似たような文句を返してきた。
「あ〜ら、鍛錬ばっかりで胸まで筋肉になってしまったエセフランス人に言われる筋合いはないわよ。クスクス」
 手の甲を唇に付けて鼻だけで笑う仕草は、外見がお嬢様であるあずさには似合わない。むしろ、嫌がらせだけに特化して作り上げられた、彼女のスタイルとも言える。
「黙れっ!このスラリとした鼻とセクシーなくびれが羨ましいくせにっ!」
「でも、その胸はちょっとねぇ〜…ゴメン遊ばせ。クスクス…」
 ヘレンは、壮絶な女の戦いに入ることができなくなっていた。
(なんだか、因縁やら確執の深そうな関係ね…。今のところは、あずさが優勢かしら?)
 奈々子は、手に持った槍を投げ捨てると、毒舌合戦の構えを取った。
「この不成長著しい小学生めっ!身長146センチでストップって絶望的ねっ!」
 だが、あずさは強かった。
「あら、優しい男性は守ってあげたい女を求めるのよ。あなたのような豪腕じゃ、貧弱なファーマーのお嫁さんにしかなれないわね。クスクス」
「くっ…!ならば、この美脚を見なさいっ!」
 奈々子は、スカートを太ももまで捲し上げると、スラリと長い脚をあずさに向けて誇示した。
「むっ!?ならば、私もこれをするしかないわね…!」
 あずさは、胸を強調するセクシーポーズを取った。それはヘレンでさえ釘付けになるほどの強力な威力を秘めた必殺技だったのだ!
 女とは、絶対的な差を見せつけられたときのみ敗北を宣言するものだ。
「ま…負けた…」
 奈々子は、がっくりと腰を床に下ろすと、放心状態になってしまった。
「ふっ、今度から私のことを撃沈王と呼びなさい。クスクス」
 あずさは、宿敵を打ち倒して、勝利の余韻に浸っていた。
「あら、私のことを忘れちゃいないでしょうね」
 へレンが奈々子を庇う位置に躍り出てきた。
「どなた?」
 あずさは、見覚えの無い顔に質問をした。
「正義の編集長へレンよ。さあ、涼子ちゃんを解放しなさい!」
「それは無理よ。まだ彼女から質問の答えが返ってきてないもの」
「質問?一体何を質問したのよ!それに答えれば帰すつもりなの!」
「彼女の右手のこととか…、ねぇ」
 疑問符が頭に浮かんだヘレンだが、涼子の右手の特徴を思い出して、問い詰めた。
「右手?ウエディング用グローブのことね」
「まあ、中身のことですけどね。クスクス」
「中身…」
 どうやら、涼子の右手には秘密が隠されているらしい。
「じゃあ、涼子ちゃんに会うためには、あなたを倒すしかないってことかしら」
「まあ、倒すと言っても話し合いでしかお相手しませんけどね」
 要するに、あずさは奈々子同様に毒舌合戦で決着をつけたいわけだ。
「文屋相手に口喧嘩をしかけるなんて正気の沙汰とは思えないけど、相手したげるわ」
「あなたは水無月あずさの底力を知らないだけよ。クスクス…」

 その頃、デニーロと桐江は車内で事件の解決をじっと待っていた。
「ヘレン…遅いなぁ〜。何事もなく解決できるといいがな…」
「……桜ちゃん」
 このシリアスムードとは裏腹に毒舌合戦は次章で決着を迎える!


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