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三月に咲いた桜

作品紹介   あとがき

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第七章「動いてしまったポーラスター」

 ヘレンとあずさは、お互いをじっと直視したまま動こうとしない。鋭い眼光で威嚇し合っているのだ。すでに戦いは始まっている。
「人を睨むのがお上手ですのね。そんな表情をしていては男性が逃げますよ。クスクス」
「あら、逃げる前に捕まえるのよ。うふふ」
 まだまだ小手調べと言ったところである。十分に恐ろしい発言が飛び出したが…。
 両者の間に沈黙が漂う。それを先に壊したのはヘレンだった。
「あなた、胸は大きいようだけど、私が行った雑誌のアンケートによると、最近は一部の男性の中で飽きられてるって話しよ。どうやら、母性本能よりもガールフレンドのように気軽に話しができる女性がもてるようね。更に胸の大きな女性は同姓から評判が悪いって話しよ。それに肩凝るでしょ?大変ねぇ」
 それを聞いて憤慨したのか、あずさは声を荒げて切り返してきた。
「オバサンに言われる筋合いはないわよ。それにアンケートって都合の良い男性を捕まえて行ったんじゃありません?万が一、結果が本当であったとしても、私には関係の無いこと…。だって、時代は必ず元に戻りますのよ!」
 確かに時代は廻る。10年前の流行が現在になって流行りだすことも少なくないからだ。
 だが、ヘレンは強かった。
「私には関係の無いこと?それは強がりね。だって、あなたはさっきから男性問題にとても敏感だわ。それに、あなたが好きになった男性が胸の大きい女性が好みとは限らないわ。それを考えたとき、一般論で胸の大きいあなたが有利になるとは限らない。お分かり?」
 あずさの額に冷や汗が流れ落ちる。
「そ、それは…」
 勝敗はすでに決まっていた。ヘレンはトドメの一撃を放つ!
「ぶっちゃけ、一般論で優劣をつけるあなたには、まともな男性は好意を抱かないってことよ。それに、男性問題に対して積極的な言論をする娘ほど、実際には自信が無いパターンって多いのよね。あなたもそうなんでしょ?あずさちゃん」
 あずさは、腰が抜けたように地面に座り込んでしまった。
「あんまりだわ……ひっく…」
 コンプレックスを見抜かれていたあずさには、元々勝利はなかったのだ。相手が悪すぎた。そう思うしかあるまい。
「そうよ、私が好きになった男性は、いつも奈々子に好意を抱いていた…。くやしくて、くやしくて…怨んでも怨みきれなかった…。だから、自分を偽ってでも私が好きでいられる男性が欲しかった…」
「それが、福川雅夫だったのね」
 あずさは、その問いに軽くうなずいた。
「もう、どうでもいい…。佐倉涼子は連れて行きなさい。それと雅夫親衛隊は今日限りで解散させるわ…」
 かすれるような声だった。完全敗北したあずさに、残されたものは何もなかったのだ。
 勝利を知ったヘレンは、奈々子の頬に軽いビンタを喰らわせて、正気に戻した。
「はっ!…あたしは」
「あずさに勝利したわ。早く立って!涼子ちゃんを救い出すのよ」
 状況は把握できなかったが、あずさが負けたことだけは分かった。それと同時に、涼子を救い出すという指名も思い出した。
「……」
 奈々子は黙って立ち上がると、落とした槍を再び手にして、自分に気合を入れるかのように豪快な素振りを一発かました。
「事情は良く飲み込めませんが、涼子は救うことが先決ですね。行きましょう!」
 二人は、涼子の監禁場所である、あずさの部屋を目指して走り出した。

「涼子ちゃーん!」
 ヘレンは、勢い良くあずさの部屋と書かれたドアを開けた。バタンと大きな音がして驚いたのか、暗闇の中で動くものを見つけた。
 徐々に暗闇に目が慣れると、それは監禁された涼子だということが分かった。
「涼子!」
 奈々子はすぐさま涼子に駆け寄り、手に持った槍で器用に縄を切った。
「……!」
 涼子は、何も言わずピクリともせずに、ただ怯えた表情で奈々子を見つめるだけだった。
「涼子!大丈夫?ケガはない」
 奈々子が優しく肩に触れようとした瞬間、涼子はその手から逃げるように、後退した。
「いや…こないでぇ……」
「りょう…こ?」
 ヘレンはとっさに涼子の右手に目をやる。そこには白と認識できる色はなかった。ようするに右手の中身が曝け出されている状態なのだ。ヘレンは右手をじっと見つめる…。
「!?……涼子ちゃん。その右手はもしかして…」
 その言葉を聞いた奈々子も、涼子の右手をじっと見つめる。そして、事の重大さに初めて気がついたのであった。
「まさか…あずさがここまでするわけないじゃない…」
 涼子の表情はますます強張ってゆく。そして、涙がみるみる瞳に溜まってゆく。
 そこへあずさがやってきた。三人は急に現れた彼女に注目した。あずさの唇が動く。
「そう。私はあの乱闘騒ぎの中で佐倉涼子の右手の中身を見たのよ。まさか、彼女が身体障害者だとは夢にも思わなかったわ」
 涼子の右手は、生気を失った色をしており、だらりとして動く気配を見せない。
「私もこの事について聞きたくて彼女を誘拐したの。でも、ちっとも話す気配を見せなくてね。でも、これがバレたら引退だから仕方ないわよね」
 引退の言葉に、ヘレンと奈々子は背筋が凍りついた。
 涼子はゆっくりと口を開け、泣き声でこうしゃべった。
「身体障害者が…アイドルになっちゃいけませんか…」
 それを話し終えた瞬間、堪えていた涙が滝のように溢れて、涼子は言葉を失って号泣し始めてしまった。
「涼子…ちゃん…」
 それを見たヘレンも言葉を失い、彼女をじっと眺めることしかできなくなってしまった。
 涼子の悲しい泣き声は、いつまでも狭いステージに鳴り響いた。

 デニーロと桐江に連絡が入ったのは、その出来事から1時間が経過した後だった。
 桐江は嬉し涙を流し、デニーロはいつもの表情を取り戻した。
 そして、二人は車を飛ばして、ヘレンと奈々子と涼子を迎えに行くことになった。
「ところでデニーロ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
 桐江はハンドルを掴みながら、助手席のデニーロに話しかけた。
「身体障害者って、どう思う?」
 突拍子のない質問だったが、デニーロはすんなりと答えた。
「どうだろう…近寄りがたいイメージはあるよな」
「そう…」
 悲しげな表情の桐江は、それ以降口を閉ざしてしまった。

 そして、車は水無月邸に到着した。正門前では奈々子が涼子を支えるようにして一緒に座っていた。車に気づいたヘレンがこちらに手を振る。
 桐江はすぐさま車から降りると、涼子の目の前に駆け寄った。
「桜!大丈夫だった!怪我はない?酷いことされなかった」
 その声に気づいてか、涼子はゆっくりと顔を上げて桐江の顔を見る。
「おねえ…ちゃん…」
 勢い良く桐江の胸の中に飛び込んで再び号泣を始める涼子。
 デニーロは、こっそりと車から降りると、ヘレンと話し合える距離まで近づいた。
「無事みたいだな。安心したぜ」
 目をそらしながらヘレンはこう答えた。
「ホント無事だといいけど…」
「ん?」
 その後、ヘレンとデニーロと奈々子はタクシーで各々の家に帰ることにした。姉妹同士でゆっくりと話しをさせる為の粋な計らいだ。
 そして、涼子は桐江のフェアレディZの助手席に乗り、ゆっくりと目を閉じた。疲れを癒すよりも、とても思い悩んでいるような表情だ。
 桐江は車を発進させた。みるみるうちにデニーロ達は小さくなってゆく。
 程なくして、桐江は涼子に話しかけた。
「桜、辛かったんだよね。その右手を人前で隠していることが…」
 涼子は、黙ってうなずいた。
「そうだよね。桜が右手を隠すようになったのは、プロデューサーに隠せって言われたからだもんね…。あの頃からだったよね、桜の笑顔が曇ってきたのは…」
 涼子は、目を閉じたまま、悲しそうに話し始めた。
「ちがう…ちがうよ、お姉ちゃん。今の私は隠すことに慣れてしまったの…。だから、本心で隠しているのと一緒なの。もう、昔には戻れない…。私は卑怯者になっちゃった…。隠したくても隠せない子もいるのに…たくさん知っているのに…」
 静かに涙が零れ落ちた。
「わたし、何をしているんだろう。ばかみたい。障害者だってアイドルになれるってことを証明したくて、誰かの勇気になりたくて、この道に憧れていたのに…。もう会わせる顔がないよ……これだけは変わりたくはなかったのに…」
 両手で顔を覆い隠すと、涼子はひたすら悲しそう泣き始めた。
 桐江は車を停車させると、タバコを取り出して口に銜え、静かに涙を流した。

 デニーロとヘレンは、奈々子からタクシーを先に譲られたので、早めに帰路に着いた。
「ヘレン。さっき桐江が身体障害者をどう思うかって聞いてきたんだ」
 ヘレンはタクシーの窓から外を眺めながら答えた。
「……それで、あんたはどう答えたの?」
「良く分からないけど、近寄りがたいよなって」
 一瞬、ヘレンの体に電流が走った。
「……どうして」
 その問いに、デニーロはマヌケそうな顔で答えた。
「どうしてって?う〜ん、そりゃ良く分からないからだろうな。漠然としたイメージってやつ?だって俺は障害者の人と話しとかしたことないし…。やっぱり相手のことが良く分からないからだよ。うん」
 ヘレンはデニーロに首を向けて、真剣な表情で問いかけた。
「ようするに、良く分からない相手だから、怖いとか気味が悪いとか思ったりするわけ?」
「う〜ん、そうじゃないかな?畏怖感ってやつだろ」
 再び、首を窓に向けると、ヘレンはこう吐き捨てた。
「サイッテー!分からなければ知ればいいじゃない!」
「そうだよなぁ。分からなければ知ればいいのになぁ…」
 その当事者意識の欠けたデニーロの発言は、ヘレンを脱力させる十分な効果があった。

 一方、奈々子は、ヘレン達にタクシーを譲った後、再び水無月邸の中に入っていた。
「あずさ…ごめんね。わたし知らなかったんだ…」
 飲もうとした紅茶を置いて、あずさはその問いに問いで返した。
「なんのこと、奈々子」
 奈々子はうつむきながら、こう答えた。
「ボーイフレンドのこと」
 あずさは一呼吸置いた後、紅茶を口に運びながら答えた。
「気になさらないで」
「気にする!だって、私の所為であずさが悪い子になっちゃったんだと思うと…」
 奈々子の強い口調に驚いたあずさは、ティーカップをテーブルに置くと、二度と手をつけない覚悟をした。大事な話しが始まると思ったからだ。
「そんなこと、どうでも良くなっちゃったわ。だって十年も昔のことでしょう?まあ、未だにトラウマではあったけど…、あなたが悪いわけじゃないの。分かる」
「でも、福川雅夫とこの間の騒動については…」
「……お見通しなのね。確かに私があの騒動を起こしたのは佐倉涼子が原因じゃないわ。あなたと雅夫に浮ついた話しがあったでしょう。あれを確かめたくて敢えて雅夫を傷つけてみたの。そしたら、あなたはブチ切れ寸前で大暴れしたじゃない。やはり、あなたは雅夫のことが好きなのね」
 奈々子はきょとんとした表情になった。
「あ、あれは、あなたの親衛隊が涼子を傷つけたからなんだけど…?」
 それを聞いた瞬間、あずさの目は大きく見開いてしまった。
「え…?じゃあ、涼子を攫って、雅夫とあなたにツーショットを演じさせようとした、哀れな恋のキューピットは私ってことに…」
 大きな溜息が、場の空気を気まずくした…。
「昔からあんたは毒舌なのに、おせっかいなところがあったから、もしかしたらと思ったら…」
 そう、今回の事件は、恋の負け犬が勘違いしたところから始まったのだ。あずさは恋では奈々子に敵わないと知っていた。故に自分を偽ってでもTVの中の雅夫を好きになった。だが、その雅夫でさえも奈々子は召し取ってしまった。そう勘違いしてしまったあずさは完全敗北を宣言し、影ながら恋の成就に一役買ったのだ。そこで考えたのが、涼子がいなくなれば雅夫と奈々子はツーショットでレギュラー番組を持つことができる作戦だ。あとは、あずさの暴走が事件を発展させていったのである。
「でも、悪い子じゃないのは分かっていた。信じていたから…。でも、あなたの態度が憎らしくて、私は最後まで信じることができなかった…。ごめんね、あずさ」
「奈々子…」
 二人は元々波長が合っていたのだ。十年間のブランクはあったが、ここに友情パワーは復活したのである。

 朝がやってきた。
 涼子は誘拐されたばかりだというのに、番組の収録がある為、アパートからスタジオに向かおうとしていた。
 そこへ現れたのは平凡な記者だった。
「涼子さん!今日もバッチリ右手袋が似合ってますね!どういった理由でそれを…」
 そのとき、涼子は右手のウエディンググローブを外して記者に見せつけた。
「こういった理由です」
 右手は神経が通っていない所為でだらりとうなだれ、指先から手首にかけて青黒い色をしており、まるで幽霊屋敷に出てくる幽霊の手つきそっくりであった。
 呆気に取られる記者。早々と写真撮影をすると本社にすっ飛んで帰った。大スクープとは、このような記事のことを指すのだ。
 その場に残された涼子の目はとても虚ろで、現実を夢と錯覚していてもおかしくないような表情をしていた…。
 暫くして記者がいなくなったことに気づくと、黙って手袋を元に戻し、上の空を見ながら、ぼんやりと歩いていったのであった。


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