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Mithril Bird

作品紹介   あとがき

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 ルビィは、目を開けると、派手に咳き込んだ。
 そして、自分の意識があることを確認すると、ただ呆然としていた。
 わたしは、たしか…、あの女のひとに首を絞められて…。
 そのときの苦しみを思い出したのか、ルビィは吐き出すような咳をする。
 ぜえぜえと、自分の口に手を当てながら、生きていることを実感していた。
「大丈夫か」
 と尋ねられて、ルビィはそちらを振り向く。
 そこにはあの黒ずくめの男が立っていた。
 どうやら自分はまた、この男に助けられて、あのときの山小屋まで戻ってきたらしい。それだけは、かすかに覚えている。
「あなたが助けてくれたのね」
 身体は動くようなので、ルビィはベッドから起き上がる。
 それにしても、恐ろしい思いをした。
 どうしてあの女のひとは、わたしにあんなことをしたんだろう…。
 思い出すだけで、涙がこぼれてきそうだ。
 男は、ベッドにちかづくと、
「そのまま寝ていろ」
 と、ルビィを力ずくで寝かしつけてしまった。
 男は、ルビィのおでこに手を当てて、熱をはかる。
 そして、脈をはかると、
「安静にしていろ」
 と、優しいことばをかけた。
 しかし表情は優しさとは裏腹に、どちらかというと有無を言わせぬものがあり、とても厳しい顔つきをしていた。
 でも、その顔つきが思ったよりも若いことに、ルビィは気がついていた。
 あれだけの傷痕を身体に刻むには、この男の顔は若すぎる。
 でもこの表情には、若さを超越したものがあると、ルビィは感じていた。
 男は、椅子に座ると、
「死ぬところだったぞ。無茶なやつだ」
 と、はき捨てるように、つぶやいた。
 やはりそうだったのか。
「わたし、なにも悪いことしてないわ」
 ルビィは、思わず涙ぐむ。
「おれがいてよかったな」
 そうだ。彼がいなかったら、わたしの命はなくなっていたんだ。
「ありがとう…」
 ルビィは、深々と頭を下げた。
「べつに助けたかったわけじゃない」
 男は、そっぽを向いた。
「目覚めが悪いんだ。死にそうな人間をほっとくとな。それだけだ」
「そう」
 ルビィは、恐る恐る聞いてみた。
「ところであなたは…、何者なの?」
 男は、ルビィと向き合うと、その問いを切り返した。
「お前こそ何者なんだ」
 言われてみると、お互いに相手のことを、まったく知らないのだ。
 この男は、まったく知らない自分のことを、二度も助けてくれたのか。
 ルビィは、ふしぎな気持ちになった。

「わたしは…、また旅の医者だから。この森を通り抜けないと、次の村にたどり着けないから、この森に入ったの。そうしたら…」
 この男に巻き込まれる形で、こんなことになってしまったのだ。
 男もそれは分かっているので、いやな顔した。
 男は、槍をもって立ち上がると、
「だったら、送る」
 と、あの有無を言わせない表情で、ルビィを見る。
「ちょっと待って。あなたが何者なのかまだ聞いてないわ」
 男は、じーっとルビィを見たまま、口を開こうとしない。
 ルビィは、なんとか男に説明責任を果たさせようと、知恵をしぼった。
「もし、あなたがひとに言えないようなことをしているのなら、決してひとには話さない。でも、それすら打ち明けてくれないと、わたしは他人からあなたのことを聞かれたとき、黒ずくめのあやしい男が森の中にいたのよって、答えなくちゃならならない。それにきっと、村のひとはわたしが遅れていることを心配に思っているから、そんな質問を必ずしてくるわ」
 ルビィは、男の視線を真っ向から受け止めた。
 そんなことを聞かされたら、村人たちは総出で山狩りをはじめるかもしれない。
 男は、それでは仕事に差し支えると観念したのか、ふうと鼻で息をした。
「おれは、ひとを探しにきたんだ」
「ひと?」
「男だ」

 ルビィには、この男が嘘をついているようには思えなかったが、説明としてはまだ不十分だと思った。なぜならば、この男の素性がまるで分からないからだ。
「それであなたは何者なの?」
 男は、一方的に自分の手の内を明かすことは、あまり好きではなさそうだ。
「バウンティハンター(賞金稼ぎ)」
 そのことばを聞いて、この男の強さや、傷痕の多さが、一気に解決された。
 でも、賞金稼ぎがひとを探しているとすれば…。
「その男、ウォンテッド(賞金首)なの?」
「いや、そうじゃなくて」
 男は、自分らしくもなく多弁なので、自嘲気味のようだ。
「おれが探しているのは同業者だ。久々に儲け話を持ちかけてきたと思ったら、おれがやってくる前に、すっぽかしてどっかへ行っちまった。おれは腹を立てたが、何日待っても帰ってきやしない。……あとは分かるだろう」
 と、一気に話すと、あとはふてくされてしまった。

 でも、この話しを信じると、行方不明になった男はこの付近にいるかもしれない。
 それにその男は、怪我をして動けないでいるのかもしれない。
「だとしたら、一刻も早く助けに行かないと」
 男は、それに反発した。
「お前がおれの邪魔をするから、うまくいかないんだ」
 そういうと、男はルビィの手を取って、
「さっさと送る。つべこべ言ってないで、支度をしろ」
 と、強引にルビィをベッドから起き上がらせてしまった。
「ちょっと待って」
 ルビィは、男の手を振り払うと、
「そのひと、近くにいるかもしれないじゃない。そっちが先よ」
 と、たしなめるようにいった。
「おれもそうしたいが、これ以上お前に邪魔をされてはかなわん」
 男は、またルビィの手を掴むと、強引に引っ張った。
 ルビィは、その手を無理やり振り解くと、男を見つめて、
「わたしは医者よ。そのひと怪我をしてるかもしれないじゃない。ほっとくことなんて、できないわ」
 と、いった。
「それに、あなただって狼と戦った傷があるでしょう。万が一、その体でまた戦うようなことになったら、今度こそ死んでしまうかもしれない。それじゃわたしの責任よ…。ねえ、わたしに命の恩人を見殺しにしろっていうの」
 ルビィの強い眼差しが、男の目を射抜く。
「お前を連れて行けと」
「ええ」
 しかし、男にはそれが現実的でないと、分かっていた。
「また狼に襲われるかもしれないぞ」
 ルビィは、びくっと身体をふるわせた。
 いわれてみるとルビィは、男がボス狼に殺されるかもしれないと思っていても、足一本動かすことができなかった。
 今でもあの狼たちの遠吠えが聞こえてくる。
 恐怖が身体全体に染み付いていて、どうしようもないのだ。
 男は、怯えているルビィを見て、諦め顔になった。
 しかし、ルビィはぎゅっとスカートを掴むと、
「それでもいいわ。なんとかしなくちゃ」
 と、腹の底からしぼるような声を出した。
 男は、ルビィがここまで強い信念の持ち主だとは思っていなかった。
「本当についてこれるんだな」
「ええ」
 男もついに観念したらしく、
「それならそれで助かる」
 と、あっさりとした口調で、本心を口にした。
 男にとっては、その同業者を助けることが目的であり、自分でもそんなに時間をかけていられる状況じゃないと、自覚していたのだ。
「わたしはルビィ。あなたは?」
 男は、自分の名前を口にするのを嫌がっているようだ。
「偽名でもいいの」
 男は、ぶっきらぼうに、
「G・レオン」
 と、答えた。
「そう、じゃあレオンって呼ぶわね。ちょっと待ってて。すぐに支度をするから」
 男は、ルビィを連れて行くことをまだためらっているようなので、気が変わらないうちにと、ルビィはてきぱきと荷物袋の中身を確認して、それをよいしょと背負った。

 レオンは、ディーンから奪った地図のその特殊さに驚いていた。町で買ってきた地図には載っていない建物が、いくつも載っているからだ。
 レオンは、中でも特に、霧の古城に意識を集中させていた。
 町でも噂になっていた。霧の古城にジーザス・クライストという男が住むようになってから、周辺の環境がおかしくなったと。
 きっとバルトは、何らかの理由で霧の古城を目指したんだろう。
 しかし、あの女は霧の古城にバルトは居ないといっていた。
 だとしたら、バルトはどこにいるのだろう。
 レオンは、地図をじーっと見つめる。
 すると、西の山頂に観測所があることに気がついた。
 この観測所は、ちょうど霧の古城を一望できる場所に建っている。
 バルトはもしかしたら偶然、この観測所を見つけたのかもしれない。
 そして、今も帰れずにいる…。
 レオンは、西の山頂の観測所を目指すことにした。

 レオンとルビィは、西へ向かって歩きはじめた。
 しばらく歩くと、まわりを囲んでいた森は薄くなってゆき、やがてなくなった。
 そのかわり、ぎらぎらと太陽が照りつける、山肌と岩と砂利道の、荒涼とした大地へと変わっていった。
 遮られることのない風が、びゅーびゅーと身体を打ちつけてくる。
 それでも、山頂を目指さなければならないので、ふたりはいつまでも上りの続く坂道を、ゆっくりと一歩ずつ前進していた。
「こんな厳しい環境にさらされたところに、そのひとは本当にいるのかしら?」
 ルビィは、当然の疑問を投げかけた。
 確信もなく進むには、あまりにも厳しすぎる道のりだからだ。
 レオンは、それでも行ってみる価値はあると思っていた。
「あの男は、自然に愛されているんだ」
「自然に愛されている?」
 レオンは、一瞬しゃべり過ぎたと思って顔をしかめたが、すぐに隠すほどのものでもないと考え直したようだ。
「あいつは、トネリコの民の生き残りだから」
「トネリコの民って、あの、自然神を崇拝していたっていう…?」
 トネリコの民は、共和国ができる前からこの国に住んでいた土着民族である。
 自然神を崇拝し、自然と共に暮らしてきた。
 しかし、共和国ができると、その数の少なさから次第にないがしろにされるようになり、伝統を重んじる独特の生活様式は新たな思想に受け入れられず、トネリコの民に対する毀誉褒貶は絶えなくなっていった。
 なにしろ、トネリコの民はあやしげな妖術を使うと、もっぱらの噂だったからだ。
 共和国は、トネリコの民を救世の女神ディバード教に改宗させることで、国民の危惧をなくそうと考えた。
 しかし、トネリコの民はそれに猛反発した。
 その姿が国民から更なる毀誉褒貶を呼び、最期は共和国民としての権利を剥奪されたあげく、国外退去を命じられることとなる。
 先祖代々の土地を失ったトネリコの民は、大半がその悲しみから自害して果てたというが、その中に生き残りがいたとしても、おかしくはない。
「あいつはその証拠に札を使った術を使う。そのおかげで賞金稼ぎの中でも一目置かれる存在となっている」
 そのとき。
 大地を鳴らす爆音がして、地面が大きく揺れた。
 それがやんだかと思うと、山肌が突然、音を立てて崩れかかってきた!
「まずい!」
 レオンは、とっさにルビィをかばうと、その土砂をやりすごした。
 砂煙がおさまると、何やら地面にうっすらと光るものが貼り付けられていたことに、気がついた。
 それは一枚の札だった。
「あれを踏んだら、山肌が崩れるように細工してあったのか」
 レオンは札に近づいて、確認してみる。
「よく分からんが、あいつが使っている札とみて、まちがいないだろう」
 そういうと、レオンは地面から札を剥がした。
「この先もこんなトラップが仕掛けられているかもしれん。気をつけろ」
「ええ…」
 自然神の力を借りた術とは、このようなものなのか。
 ルビィは、そのあまりの力強さに、驚いていた。

 山頂を目指してさらに歩くと、険しい山道はやがて平らになり、依然として地面はごつごつしているものの、道の脇には小さな森が点在するようになってきた。そのおかげで、かなりの風が緩和され、少し歩きやすくなった。
 ここにくるまでに何度かトラップに引っかかり、石つぶてが飛んできたり、巨大な岩がころがってきたりしたが、そのたびにレオンが機転を利かせて避けたので、大事には至らなかった。
 もう、自然の凶器になりそうなものは、あたりにはないからと、ふたりは少し安心していた。
 さらに歩くと、道の脇に巨大な沼が現れた。
 景勝ではあるが、ふたりは気にしないで先を急ごうとした、そのとき。
 沼の中から、やたらとあぶくが立ちはじめたのだ。
 警戒して足を止めたふたりは、その行方を見守った。
 ごぼごぼ、ごぼんごぼんと、泡は次第に大きくなり、そして。
「何かでてくるぞ!」
 レオンは、とっさに槍を構えた。
 沼から飛び出してきたのは、巨大な泥の触手だった!
 その泥の触手は、レオンを目掛けて一直線に飛びかかってくる。
 レオンは、それを横に跳んでかわす。
 泥の触手は、地面にぶつかると派手に飛び散り、動かなくなった。
 それを眺めているのも、つかの間。
 ぬーっと、沼が半球に盛り上がり、そこからいくつもの泥の触手が飛んできた。
 レオンは、ルビィの手をとって駆け出した。
 ふたりが走ったすぐ後ろに、次々と泥の触手が着弾して、派手に飛び散る。
 もしあれに当たったとしたら、圧倒的な圧力が一点に加わり、人間の身体なんておもちゃのように壊れてしまうだろう。
 ふたりは、このトラップを切る抜けるために、山頂へと続く道を急いだ。
 すると、半球に盛り上がった沼が細長くのびて、まるで尺取虫のように追いかけてくるではないか。
 あちらはとんでもなく巨大なので、動きは遅く見えても、ものすごいスピードで追いかけてくる。
「マッドゴーレム(泥人形)か!」
 レオンは逃げるのを諦めて、ルビィをかばうように槍を構える。
 しかし、この槍で泥を切り裂いたところで、ダメージを与えることはできるだろうか。
 考える暇も与えず、マッドゴーレムは泥の触手を放ってきた。
 それを避けて、レオンは走って一気に距離を詰める。
 そのまま槍を構えて、駆け抜けながらマッドゴーレムを切り裂く。
 ずぶずぶと、難なく泥の身体は切れるが、まるで歯ごたえがない。
 その証拠に、切れた箇所にはすぐに泥が覆いかぶさって、再生されていく。
 レオンは、諦めて槍を引き抜くと、その場で槍を構えなおした。
 尺取虫のマッドゴーレムの頭が、ぬーっと動いてレオンを見つめる。
 すると、レオンの立っているすぐ横のマッドゴーレムの身体から、急に泥の触手が飛び出してきたではないか!
 レオンは、それに気づくのが遅く、直撃を受けてふっ飛ばされてしまった。
 その衝撃で、ボス狼から受けた傷が開いてしまったらしく、立ち上がったレオンの身体からは、ボタボタと血が垂れている。
「頭に気を取られていたが、泥人形に頭などないか」
 レオンは、精一杯の気持ちで立っているが、血が流れているその身体は、登山の疲労もあってか、もうふらふらしてきている。
 ルビィは、レオンのその姿を見て、もうあまり身体を酷使することはできないだろうと、悟っていた。
 このマッドゴーレムをなんとかしないと。
 ルビィは、マッドゴーレムに向かって、石を投げつけた。
 それに気づいてか、マッドゴーレムがぬーっと、頭をルビィに向ける。
「何をしている!」
 レオンは、叫ぶ。
「あなたばかりを戦わせるわけにはいかないわ」
「無茶だ!」
 ルビィは、気丈にふるまっているが、マッドゴーレムに見つめられて、足がガクガクとふるえてきている。
 しかし、ルビィはその足をふんばって、マッドゴーレムの前に立ちはだかることをやめない。
 レオンは、舌打ちをすると、槍を構えなおした。
 こいつもきっと、どこかに札が貼られていて、それを原動力にして動いているはず。
 もし、あいつが札を張るとしたなら……。
 それはとても単純明快で、もっとも泥の厚くなっている場所ではないだろうか。
 レオンは、マッドゴーレムの姿を見た。
 こいつの心臓は……。
 細長く棒状に伸びた身体のちょうど中間点。そこだけ未だに球体を留めている。
「あそこを突けば!」
 レオンは、最後の力をふりしぼって、その一点を突き刺した!
 槍のほとんどが泥の中に突き刺さっても、まだ真ん中に届かない。
 そこに渾身の力を込めて、槍を押しやってやる。
「うおおお!」
 槍は、もはや手元を残すだけで、そのすべてが泥の中へと突き刺さった。
 しかし、歯ごたえはない。
 マッドゴーレムの頭がぬーっと、レオンに振り向く。
 しまった! 頭だ!
 そう、このマッドゴーレムの札は、心臓ではなく、脳なのだ。
 今までのトラップがすべて、札をエネルギーにして動かすものだったから、レオンはエネルギーといえば心臓だと、思い込んでしまっていたのだ。
 深く突き刺さった槍は、決してすぐには抜けない。
 だからといって、槍を手放してしまうと、槍はすぐにその泥の身体の中に取りこまれてしまうだろう。
「あぁ!」
 ルビィは、レオンがやられると確信してしまった。
 マッドゴーレムの頭がレオンをあやしく見つめた、そのとき!
 強烈な爆音がしたかと思うと、マッドゴーレムの頭は吹き飛んでしまった。
 ルビィは、その音がしたほうを振り返る。そっちは崖になっていた。
 いやしかし、その崖の奥のほうの対岸に、人影が見えるではないか。
 頭を失ったマッドゴーレムの身体は、どろどろと溶けて、泥に戻ってしまった。
 頭はというと、まるでスライムのようにうねうねと動いているだけだ。
 ルビィは、そのスライムを捕まえて頭の中をかきむしると、一枚の札がでてきた。
 うっすらと光る札を奪われて、スライムもついに泥に戻ってしまった。
 それを見たレオンは、どさっと崩れるようにして倒れた。
 ルビィはまだ、何が起こったのか分からないでいた。

 ルビィは、対岸の人影に振り返る。
 その人物は、こちらへ向けて手をふっている。
 もしかしたら、あれが探していた男のひとかもしれない。
 それよりも今は、レオンの治療をしてやらないと。
 ルビィは、レオンに近寄ると、荷物袋から医療器具を取り出して、止血したり、傷口を縫ったりしてやった。
 その間、疲労と貧血からか、レオンは頭をぼーっとさせていた。
「おや、たまげたねえ」
 男の声がして振り返ると、目の前に銃を持った男が立っていた。
 なるほど。その銃を使ってマッドゴーレムを撃ったのか。
「お前さんがこれほど手痛く怪我をしているうえに、女ずれなんてなあ」
 男は、あごひげを触っている。
「運ばねえといけねえな、こりゃ」
 というと、男はレオンを背負うと、
「お嬢さんもついてきな」
 といって、すでに見えている山頂の観測所を目指して歩きはじめた。

 その観測所は、長年の風雨にさらされてか、サビだらけの建物だった。
 しかし、中は狭いながらもベッドがふたつもあるし、山頂にしては住み心地がよさそうだ。
「あなたは…」
 ルビィは、男に尋ねた。
「おれの名前はバルト。賞金稼ぎとしてちょっとは名が通っている。んで、おたくは」
 と、ルビィを興味心身に見つめている。
「わたしは医者をやっていて、ルビィっていいます」
 へえ、とバルトはベッドで眠っているレオンを見た。
「こいつとの関係は?」
 あろうことか、この男はレオンのほっぺを指で突っついている。
「あの…、何度も命を助けられました」
 レオンが怒らないだろうかと、ルビィはそれだけが心配だった。
 ふう、とバルトは、レオンと同じように鼻で息をした。
「あの…、あなたはレオンの…」
「保護者みたいなもんかな」
 バルトは、そう答えた。
 すると、レオンは唸るような声で、
「だれがだれの…」
 といった。ほっぺを突かれて起きたのだろうか。
 レオンは、おでこに手を当てて、しかめっ面で上体を起こすと、
「血が足りねえ」
 と、しきりと頭をふる。
「おまえ、あれはなんだ。死にかけたぞ」
 すると、バルトはすごく険しい表情になった。
「説明しろ。どうして帰らない」
 レオンは、バルトをにらみつけた。
 バルトは、難しい表情で、あごひげをなではじめる。
「それについてだが…、お嬢さん。さっきの泥人形からでてきた札を見せてくれないか?」
 有無を言わせない真剣な表情だ。
 ルビィは、さっきの札をコートのポケットから取り出すと、それをバルトに渡した。
 バルトは、受け取った札をかざすようにして、すみずみまで眺める。
 それが終わるまで、長い沈黙だった。
 バルトは、かかげていた札をおろすと、おもむろに、
「ジーザス・クライストを知っているか」
 と、聞いてきた。
 それには、レオンが答えた。
「数年前から霧の古城に住みついている、あやしげな男だ」
 バルトは、また沈黙した。そして、
「信じちゃもらえないかもしれないが…」
 と、前置きをいれてから。
「ジーザス・クライストは、おれの弟かもしれねえんだ」
 と、衝撃の事実を口にした。

「おれは、このあたりでトネリコの民にしか扱えない札を使ったトラップが仕掛けられていると聞いて、探りにきたんだ」
 なるほど。あれらの仕掛けも、マッドゴーレムもすべて、バルトが仕掛けたものじゃなくて、ジーザス・クライストという男が仕掛けたものだったのだ。
 バルトは、話しをつづける。
「確かにこの筆跡、あいつのものなんだ」
 と、札を見せていう。
「もし、ジーザス・クライストがおれの弟で、霧の古城にいるというなら会ってみたい。そう思っていたんだが、霧の古城は今、どうやらヤバイことになっているらしい」
 バルトは、窓の外に小さく見える、霧の古城を指さした。
「軍事院のナンバー2、カーン・レミントンがやってきたと思うと、今度は中佐のエドガー・マジェスタまでやってきやがった。霧の古城で何をしているのか分からないが、よくないことだろう、きっと」
 レオンは、ディーンと戦ったこととそれを、直感的に結びつけていた。
 バルトは、こちらを見た。
「あいつらはもしかしたら、国の裏で悪いことをしようとしてるんじゃないかと思う。でもな、あいつが国に協力するなんてことは、ありえないんだ。もしかしたら…、もっと恐ろしいことを企んでいるのかもしれない」
 ルビィは、トネリコの民の歴史のことを思い出していた。確かに、国を追われた人間が国のために尽くすなんてことはないだろう。
 バルトは、沈痛な面持ちだ。
「こんな状況だから、ひとまず監視を続けていたんだ。ゆるせ」
 レオンは、申し訳なさそうなバルトを見ると、
「どうでもいい」
 と、ベッドに横たわってしまった。
 ともあれ、レオンの心配事は消えたのだから、そうなってもおかしくはない。

 ルビィは、これからについて考えていた。
 探していた男は見つかったのだから、あとは下山して、遅くなったけれども、次の村を目指さないと。
 でも、バルトが無傷でよかったと思う反面、レオンが傷だらけになっていることを思うと、なんとも言えない気持ちになる。
 レオンも一緒に下山するだろうから、次の村についたら、休息を取らせてあげないと。
 うとうと考えていると、バルトが夕食を持ってやってきた。
「こいつはトネリコの民につたわる保存食なんだが…、あんまり評判はよくない。まあ、無理して食べてくれや」
 バルトは、その夕食をルビィに手渡すと、どっかりと座りこんだ。
 その保存食は、小麦を固めてパンにしたようなものだった。
 ルビィは、ひと口食べてみる。
「あ、おいしい」
 乳製品の酸味を感じるが、なんとなくそれが懐かしいような気もするのだ。
「へえ、そりゃよかった」
 と、バルトもそのパンを食べる。
 そして、ちらちらとルビィを見ると、
「なんか…、見覚えがあるような気がするんだけど、どっかであったことない?」
 と、聞いてきた。
「わたしは初対面だと思いますけど…」
 すると、バルトは思い出そうとしながら、
「いややっぱ会ったことあるよ、きっと。お嬢さんはまた旅の医者をやってるんだよな。だとしたら、どこかで会っていたとしてもおかしくはないんだが…」
 と、頭をひねりはじめた。
 ルビィは、ドキっとした。
 記憶喪失になってから、はじめて自分を知っているひとにであったからだ。
 しかし、過去のことを聞くのを、ためらう気持ちがある。
 もしかしたら、今のルビィじゃなくなってしまうかもしれないからだ。
 ルビィの心臓の鼓動が高鳴る。
 それに合わせて、バルトの記憶が徐々に戻ってくる。
 どうしよう、どうしよう。
 バルトの記憶がやっと映像につながったようだ。
 すると、バルトの顔はさっと青ざめてしまった。
 そして、バルトは、
「まちがってたら、ごめんな」
 と、冷や汗をうかべて、
「あのとき、ヨシュアと一緒にいたよな」
 といった。
 ヨシュア、ヨシュア。
 ヨシュア!
 そうだ、わたしの夢の中。
 わたしはあのとき、その名前を呼んだ気がする…。
「あの…、ヨシュアって…」
 ルビィは、つばを飲み込んだ。
「……おれの弟」
 それは、あまりにも残酷な結末を予感させる、ことばだった。


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